戦争と平和(その1)

2015.01.18

2015年は終戦から70年ということで、中国による日本たたきの激化が予想される。
しかし、よく考えて見ると、中国の非難には無理がある。
70~80年前の大日本帝国を、国際情勢の全く違う現代に持ってきて「日本はけしからん」と非難しているわけだから。

もちろん、中国はその無理を十分に承知している。
だから、言い方を「過去を反省していない日本」という、いささか苦しい表現にしているのである。
それはそうだ。
日本たたきの本当の理由は「中国国内の矛盾隠し」だからである。

では、なぜ日本をターゲットにするのか。
第一に、アジアを支配することの最大の障害が、日本だから。
第二に、日本が敗戦国であることも大きな理由だが、日本人は何を言われても“おとなしい”安全な人種だから。
第三に、長年の反日教育の効果で、中国国民に「日本は悪い国」という意識が定着しているから。

しかし、世界各国からの信用度において、日本は中国よりはるかに信用されている。
経済力や軍事力で日本を追い抜いても、中国は世界から信用されていない。
それゆえ、南京の犠牲者などの数字を過大に膨らませた「反日キャンペーン」を世界中で展開し、日本をおとしめようとしているのである。

今のところ、こうした歴史の捏造は、中国国民を盛り上がらせるには役に立っているが、国際世論はこうした中国を冷ややかに見ている。

では、「反日キャンペーン」が思うような効果を上げられなかった場合、中国はどう出てくるであろうか。
尖閣諸島を軍事力で奪取するなどの実力行使に踏み切るのであろうか。
その可能性は少ないと思う。
だが、中国が「平和を望んでいる」と誤解してはならない。
軍事力で日本に勝つ自信がないのである。

近年、経済力をバックに、中国は海空軍の軍拡を急ピッチで進めてきた。
たしかに数において日本の自衛隊を大きく上回るほどになった。
しかし、兵器の近代化と信頼性(とりわけ電子技術)および兵員の質において、明らかに日本が優位を保っている。
全面戦争ならともかく、尖閣などの局地戦においては、中国は日本に勝つ自信が持てないでいる。

古今東西、国家同士の対決には、常に、戦争でいくか平和でいくかの選択肢がある。
どんな国家であれ、どちらを選択するかは軍事的コストによって決まる。
もちろん、このコストには国際的信用の失墜などのリスクも勘案される。
そして、戦争のコストが小さければ「戦争する」、逆に大きければ「戦争しない」となる。

となると、日本は、軍事力を大きくするか、逆に小さくするかの選択をしなければならない。
日本が軍事力を小さくしたら、日本と戦争した場合の中国の軍事コストは小さくなる。
そうなると、中国が戦争を仕掛ける確率は高くなる。
その逆に、軍事力を大きくして日本が強くなれば、日本と戦争した場合の中国のコストは大きくなる。
そうなると、中国が戦争を仕掛けない確率は高くなる。
つまり、日中戦争を防ぐには、日本の軍事力を大きくすることが正解となる。

今の日本が他国に戦争を仕掛ける確率は限りなくゼロである。
だから、上記のメカニズムが働くのである。
逆の場合は、これと反対のメカニズムになることは勿論である。

南シナ海や尖閣諸島での中国の動きを冷静に観察する限り、「戦争を仕掛ける確率の高い国家」といえる。
ゆえに、平和を唱える団体などが主張する「日本の軍事力を大きくすれば戦争になり、小さくすれば平和になる」という発想では平和は維持できない。

もちろん、以下のような反論が出るであろう。
「日本が軍拡すれば中国も軍拡する。果てしない軍拡競争に陥るではないか」。
確かにその通りで、軍拡は国家財政に大きな負担となる。
現代では、戦争や軍拡が得になることはないと、断言できる。

このような問題を「二律背反」といい、絶対的に正しい答などはない。
この問題を解くカギは、「軍拡したときのコストと戦争になったときのコストの比較」である。
軍拡したときは「軍拡競争」という大きなコストがかかる。
しかし、軍縮して戦争になってしまった場合、そのコストは膨大となる。

リスク管理理論からすると、合理的な解答は「最大の損害の小さい方を選択すること」となる。
これが、戦争を辞さない相手国(この場合は中国)との関係における合理的な選択である。
次回、この続きを解説しよう。