急激な円安が示していること(その3)
2022.07.19
10兆ドル(1,350兆円)あまりのマネーを運用するといわれている米国の資産運用会社、 ブラックロック は世界経済のグローバル化の申し子というべき存在です。
よく話題になる孫正義氏率いるソフトバンクグループが赤子に見えてしまうほどの資産規模です。
同社は、FRB(連邦準備理事会=米国中央銀行)を支えるバックボーンであり、日銀との関係も深いと言われています。
そのCEO(最高経営責任者)であるラリー・フィンクが、3月24日に、投資家たちへ一通の手紙を出したことが明らかになりました。
その内容は、一言で言って「世界経済のグローバリゼーションは終わった」というものでした。
この手紙の引き金は、もちろん、その1ヶ月前の2月24日のロシアによるウクライナ侵攻です。
ブラックロックは、侵攻から1ヶ月の様子を分析した結果、この侵攻が長期化し、世界経済のグローバル化が終わると判断したと思われます。
ブラックロックの創業は34年前の1988年ですから、そんなに古いわけではありません。
その翌年の1989年にベルリンの壁が崩壊し、次の90年には東西両ドイツの統一、そして翌91年にはソ連が終わるという大転換の時代でした。
つまり、そうなる未来が分かっていて、米国は同社を創業させたということなのです。
私は、ベルリンの壁崩壊の報道を、米国出張中に知りました。
米国企業との会議の最中に、その一報が入り、会議を中断、全員でTVの画面に見入りました。
私は、その映像の後に「東独の警備兵による市民への発砲」の映像が流れるのではないかと思いましたが、それはなく、多数の市民がハンマーで壁を壊す様子が流れ続けました。
私は、固唾を飲んで映像を見守るだけでしたが、米国人スタッフの「これで世界は変わる」との声をきっかけに会議は中止状態となり、今後の世界はどう変わるかといった議論になりました。
多くの意見は、「この壁の崩壊でソ連は崩壊し、冷戦は終わり、平和な時代が来る」というものでした。
その後の経緯を追えば、そのとおりとなりました。
しかし、帰国した私を迎えたのは、米国内とはまったく真逆な日本の雰囲気でした。
米国人はベルリンの壁の崩壊を自分のこととして捉えていたのに対し、日本人は「よそごと」としてしか捉えていなかったのでした。
ブラックロックの創業は、こうした時代の先取りでした。
同社は、米ソ冷戦終結によるグローバリゼーションの追い風を受けて、信じられないような急成長を遂げました。
まさに「平和の配当」を象徴する成長でした。
しかし、そのブラックロックが「平和の時代は終わった」との認識を示したのです。
ラリー・フィンクCEOによる手紙の2日後の3月26日、ジョー・バイデン米国大統領はポーランドの首都ワルシャワで演説しました。
マスコミは、大統領の演説の中の「この男が権力の座にとどまり続けてはいけない」の部分を切り取り、「米国はプーチン体制の転換を目指している」と指摘しました。
しかし、この言葉は「元の草稿にはない」バイデン大統領の“アドリブ”でした。
マスコミは、この言葉は「ロシアとの話し合いの糸口を失うものだ」と批判しました。
私は、そうではないと思いますが、読者のみなさまは、どう感じられたでしょうか。
よく話題になる孫正義氏率いるソフトバンクグループが赤子に見えてしまうほどの資産規模です。
同社は、FRB(連邦準備理事会=米国中央銀行)を支えるバックボーンであり、日銀との関係も深いと言われています。
そのCEO(最高経営責任者)であるラリー・フィンクが、3月24日に、投資家たちへ一通の手紙を出したことが明らかになりました。
その内容は、一言で言って「世界経済のグローバリゼーションは終わった」というものでした。
この手紙の引き金は、もちろん、その1ヶ月前の2月24日のロシアによるウクライナ侵攻です。
ブラックロックは、侵攻から1ヶ月の様子を分析した結果、この侵攻が長期化し、世界経済のグローバル化が終わると判断したと思われます。
ブラックロックの創業は34年前の1988年ですから、そんなに古いわけではありません。
その翌年の1989年にベルリンの壁が崩壊し、次の90年には東西両ドイツの統一、そして翌91年にはソ連が終わるという大転換の時代でした。
つまり、そうなる未来が分かっていて、米国は同社を創業させたということなのです。
私は、ベルリンの壁崩壊の報道を、米国出張中に知りました。
米国企業との会議の最中に、その一報が入り、会議を中断、全員でTVの画面に見入りました。
私は、その映像の後に「東独の警備兵による市民への発砲」の映像が流れるのではないかと思いましたが、それはなく、多数の市民がハンマーで壁を壊す様子が流れ続けました。
私は、固唾を飲んで映像を見守るだけでしたが、米国人スタッフの「これで世界は変わる」との声をきっかけに会議は中止状態となり、今後の世界はどう変わるかといった議論になりました。
多くの意見は、「この壁の崩壊でソ連は崩壊し、冷戦は終わり、平和な時代が来る」というものでした。
その後の経緯を追えば、そのとおりとなりました。
しかし、帰国した私を迎えたのは、米国内とはまったく真逆な日本の雰囲気でした。
米国人はベルリンの壁の崩壊を自分のこととして捉えていたのに対し、日本人は「よそごと」としてしか捉えていなかったのでした。
ブラックロックの創業は、こうした時代の先取りでした。
同社は、米ソ冷戦終結によるグローバリゼーションの追い風を受けて、信じられないような急成長を遂げました。
まさに「平和の配当」を象徴する成長でした。
しかし、そのブラックロックが「平和の時代は終わった」との認識を示したのです。
ラリー・フィンクCEOによる手紙の2日後の3月26日、ジョー・バイデン米国大統領はポーランドの首都ワルシャワで演説しました。
マスコミは、大統領の演説の中の「この男が権力の座にとどまり続けてはいけない」の部分を切り取り、「米国はプーチン体制の転換を目指している」と指摘しました。
しかし、この言葉は「元の草稿にはない」バイデン大統領の“アドリブ”でした。
マスコミは、この言葉は「ロシアとの話し合いの糸口を失うものだ」と批判しました。
私は、そうではないと思いますが、読者のみなさまは、どう感じられたでしょうか。