世界経済はどうなるの?(4):日中の課題
2016.06.17
強気の姿勢を崩さない中国ですが、中国経済が危ない状態に陥りつつあることは確実です。
習近平政権は、軍事力を動員してでも、ここを強引に突破しようとしています。
しかし、この解決は「改革」などというレベルではなく、「ゼロからの再構築」といえるほどの困難なレベルなのです。
そのことを中国の意識の高い人達は理解していますが、政権中枢にいる人達は決して認めようとはしません。
民主的な政権交代の方法を持たない国家の最大の欠点です。
中国は、近年の30年間で驚異的な経済成長を遂げました。
しかし、その成長は「独裁」という中世型の古い政治ハードウェア上での成果です。
たしかに、このハードウェアは、開発途上国には有効な機能として効果を発揮します。
そうして経済が豊かになると国民の意識が上がり、自由を求め出します。
その結果、初期の経済成長をもたらした「独裁」政治は終焉を迎えて、民主政治へと移行します。
しかし、中国共産党は、この政治的破滅を防ごうと、なんと資本主義を大々的に取り入れたのです。
この試みは大きな成功をもたらし、世界第二位の経済力を有するまでになりました。
大成功と言えますが、その成功要因は中国の特殊性にあったのです。
それは、13億人という巨大な人口から生まれる大きな経済格差です。
経済というものは、格差があってこそ活発になります。
格差のない社会が実現したら、経済活動は極限まで低下するでしょう。
なぜなら、みなが満ち足りて欲しいものがなくなり、市場が形成されなくなるからです。
購買意欲が経済活性化のカギですが、その原動力が「格差」なのです。
だから、経済活性化のためには、常に新しい形の「格差」を生み出していかなければならないのです。
それを、今の言葉で美しく表現すると「イノベーション」と言うのです。
今の時代は、情報の自由化によって、この「イノベーション」を起こす時代なのです。
しかし、「共産党一党独裁」というハードウェアでは、こうした新しい時代には対応できません。
情報の自由化を保証する政治は「独裁」を終わらせなければ実現出来ないからです。
一方で、情報の自由化は、容易に情報の暴走を招きます。
情報の自由化を部分的に許容した中国ですが、今度は情報の暴走に直面したわけです。
中国は、政権にとって不都合な情報を強権的な政治力によって抑えこもうと必死です。
しかし、強権力で情報の暴走を防ぐことは出来ません。
厳正なる法の支配の下、知的財産権や高いレベルの人権尊重が確保される社会が形成されることが必要なのです。
さらに、国家が好む企業が優遇されるのではなく、その国に整合する企業が成長するのに必要な営業機会や資金にアクセスできるような環境を保証する制度が必要なのです。
しかし、今の中国の体制では、そのような世界から離れていくばかりです。
では、日本はどうでしょうか。
近代に入って、日本はアジアでの発展の競争から外れたことは一度もありません。
あの戦争でさえ、アジアでの経済競争で負けたせいではありません。
アジアの多くの国は、自国発展のモデルとして日本を手本にしてきました。
だから、敗戦で焼け野原になっても、日本はアジアNo.1の座を保持できたのです。
現代でも、アジアのみならず、世界は日本に期待しています。
今後の東アジアのパワーバランスを保つ上からも日本には戦略的に重要な役割が求められています。
GDPで日本を抜いたはずの中国が、アジアで日本のような支持を得られないのは当然なのです。
アジアから米国を追い出し、日本を4つの島に閉じ込め、アジアを自分の足元にひれふれさせようという習近平の「中国の夢」など、中国以外の国にとっては悪夢にすぎないのです。
こうした背景で、米国やアジアの大半の国は、安倍外交を支持しているのです。
しかし、日本も、この優位を失わないためには、もっと努力を重ねなくてはなりません。
自国の構造改革を大胆に進め、貿易の自由化というアジア経済圏の確立に寄与することです。
安倍首相が掲げるアベノミクスの第三の矢とは、まさにこのことのはずです。
農業を含めた分野の門戸を広く国際競争に向けて開くための構造改革のはずです。
アベノミクスの真の成功は、ここにかかっていると思いますが、どうでしょうか。