商品開発のおもしろさ(19):コンピュータの話(その4)

2022.02.17

原子爆弾開発のためのマンハッタン計画は、1942年、米国ロスアラモス国立研究所で始まりました。
この爆弾の効果を最大限に発揮させるには非常に高度で複雑な計算が必要でした。
同時期にコンピュータENIACの演算回路の改良を行っていたフォン・ノイマンがマンハッタン計画に参加するのは、ある意味当然のことでした。
 
砲弾や爆弾の威力は、単純に爆薬の量だけで決まるわけではありません。
弾体の形状や構造はもちろんですが、起爆方法や爆発時の弾体周りの空気状態によって爆発力は大きく異なります。
フォン・ノイマンは、1930年代半ばから、爆発時の空気や水などの流体の衝撃波に興味を持ち、球面衝撃波の理論構築を進めていました。
その過程で、やがてNDRC(国防研究協議会)の委員となり、爆発時の噴流を特定方向に集中させることで爆発の威力を増す「指向性爆薬」の理論に行き着きました。
この理論は、爆弾に詰める炸薬を漏斗状に成形すると、爆発力が中心の空間に集中し、厚い装甲板を貫通する効果が得られるというものです。
これは、今でも「ノイマン効果」と呼ばれています。
この理論の成果は、第二次世界大戦において、対戦車砲弾や魚雷の開発に応用されました。
また、爆発時に衝撃波がどのように発生し伝搬するかは、流体力学の非線形偏微分方程式を何らかの手段で解く必要がありました。
この必要性が、彼が行っていたコンピュータの演算回路の改良に大きな役割を果たしました。
 
この分野でのフォン・ノイマンの業績のひとつに以下の理論があります。
「大きな爆弾による被害は、爆弾が地上に落ちる前に爆発したときの方が大きくなる」というものです。この理論は、広島と長崎に落とされた原子爆弾にも利用されました。
彼は、長崎に投下されたプルトニウム型原子爆弾(ファット・マン)用の「爆縮レンズ」の開発を担当し、爆轟波面の構造に関するZND理論を確立しました。
彼は、この理論を元にコンピュータでの数値解析を繰り返し、爆薬を32面体に配置することによって、原子爆弾が実際に実現できることを示しました。
 
彼は、それだけでなく、日本に対する原爆投下の目標地点の選定に関し、「日本国民にとって深い文化的意義をもっている京都をまず殲滅すべき」として、京都への投下を進言したのです。
このような一種の狂気的側面を持つフォン・ノイマンは、スタンリー・キューブリック監督の映画『博士の異常な愛情』のストレンジラヴ博士のモデルの一人ともされています。
ノーベル賞とは無縁だった理由に挙げられる「人間のふりをした悪魔」と言われたのも無理からぬことです。
もっとも、彼自身はノーベル賞に無関心だったと思います。
 
彼は、その後も、アメリカ合衆国国防総省、空軍、CIA(中央情報局)などの政府関係のコンサルティング、IBM、GE、スタンダード・オイルなど大企業の顧問などを歴任し、1957年に生涯を終えました。
 
<追記>
アインシュタインがルーズベルト大統領に送った信書がマンハッタン計画の発動につながったとする説がありますが、これは事実ではありません。
アインシュタインと同じ亡命ユダヤ人物理学者レオ・シラードらが、アインシュタインの署名を借りてルーズベルト大統領に送り、核開発をうながしたものです。
アインシュタイン自身はマンハッタン計画に関与しておらず、逆に、彼の政治姿勢から警戒され計画がスタートした事実さえ知らされていなかったというのが真相です。