商品開発のおもしろさ(17):コンピュータの話(その2)

2021.11.16


システム技術者であれば、フォン・ノイマンの名前を知らない人はいないでしょう。
(もっとも、若い方は知らないかも・・)
ノイマンはハンガリー生まれですが、両親はユダヤ系ドイツ人でナチスの迫害を避け、少年時代に一家で米国に移住しました。
 
彼は、まさに超天才少年で、6歳で8桁の掛け算が出来、8歳で微分積分をものにしたと言われています。
彼の記憶力と計算能力の凄さを物語るエピソードがあります。
電話帳のページを適当に開き、さっと眺めただけで電話番号の総和を言い当てたといいます。
彼の才能は数学だけでなく、44巻の歴史書『世界史』を読了し、一字一句間違えず暗唱できたとも言われています。
信じられない話には事欠かない天才ぶりです。
 
青年に達したノイマンは、プリンストン高等研究所の所員に選ばれましたが、選ばれた4人の中にはあのアインシュタインがいましたから、ノイマンは自他共に認める天才でした。
そのプリンストン高等研究所では、完成した初期のコンピュータの性能テストのために、様々な問題を作成していましたが、答え合わせのために正しい解答を作っておくことが必要でした。
そこで即席の力くらべとして、フォン・ノイマンがコンピュータと競争することになりました。
結果は、フォン・ノイマンの圧勝でした。
彼は、筆算でコンピュータより早く正確な答えを出したのです。
当時のコンピュータは1秒間に乗算2000回の処理能力しかなかったとはいえ、驚異の結果といえます。
 
当時の彼は、50行のアセンブリ言語のプログラムなら、頭の中だけで作成したり修正したりすることができたと言われています。
私がNECでSEをしていた頃は、アセンブリ言語でもプログラムの作成を行っていましたが、頭の中だけで作成・修正できたのは10行程度だったと思います。
50行は驚異の能力です。
 
終戦1年前の1944年8月、フォン・ノイマンは、世界最初の商用コンピュータENIAC(エニアック)のことを聞き、これを使えば、さまざまな分野の非線形偏微分方程式を解くことができ、あらゆる分野で全く新しい革新をもたらすことを確信しました。
驚くのはその後です。
ENIACを知った後、わずか2週間でプログラム内蔵型コンピュータの概念を作り上げ、翌年3月には現在のコンピュータの基本構成となる設計案を作り上げたといいます。
現代のコンピュータの全てが「ノイマン型」と呼ばれるようになる最初の業績でした。
 
こうしてENIACの演算回路の改良を行った彼は、次に計画されていた計算機EDVACの性能を格段に上げるため 新しい発想を練り上げました。
しかし、新たなコンピュータの開発は膨大な資金を必要とします。
プリンストン高等研究所といえども簡単ではなく、この資金集めのためのわかりやすい目的が必要でした。
そこで目を付けたのが、今年のNHKの朝ドラのテーマ「気象予報」でした。
気象予報のためには、非線形偏微分方程式を解く必要がありますが、時間的制約から、気象予報は経験と勘に頼るという職人芸の世界でした。
これを、コンピュータを使って計算すれば、客観的な数値予報ができると考え、国家的プロジェクトがスタートしていました。
気象の数値予報は、第一次世界大戦中に英国が手計算で挑戦しましたが、失敗していました。
その後、1948年にアメリカの気象学者ジュール・チャーニーによってコンピュータを用いた数値予報のための手法が切り開かれていきました。
しかし、その気象モデルを内部記憶装置の容量が小さかったENIACで計算できるようにすることが難問でした。
ここで、フォン・ノイマンが登場するのです。
この話は次号で。