未熟な日本の計画技術(3)

2017.01.16


高速増殖炉「もんじゅ」の廃炉が決定されました。
1兆円をはるかに超える費用をかけながら、1ワットの商用電力も生み出すことができなかった原子炉として、マスコミは非難の大合唱、国民の多くも怒っています。
私は、何度か述べたように、「もんじゅ」の設計に携わっていた時期がありました。
その時の設計においては、「冷却材に液体ナトリウムを使う」という高速増殖炉特有の技術の壁を克服できないという大問題があり、根本的な解決策は作れませんでした。
しかし、「もんじゅ」の前に作られた実験炉の「常陽」が臨界にこぎつけられたことで、「“もんじゅ”もうまくいくさ」といった楽観論が政府や上層部に蔓延していました。
たしかに「常陽」は冷却材に液体ナトリウムを使用していましたが、熱を生成するまでの実験炉であり、電力を生成する原子炉ではありませんでした。
電力を生成するには、より多量の液体ナトリウムを複雑に循環させる必要があります。
しかし、ナトリウムは熱伝導率が大きいため、温度の上下により配管や機器類の構造材料に繰り返し大きな熱衝撃を与えます。
設計時のシミュレーションでは、5年間の運転で配管の曲がり部にピンホール(微小な穴)が開くという問題が生じたのです。
技術チームは、克服する手段を必死に模索したのですが、ついに根本的な解決策は見い出せませんでした。
しかし、「もんじゅ」建設に巨額の予算が付いてしまうと、もう止まりません。
「巨額の予算=巨額の利権」が生まれ、経済界だけでなく政界が深く関わってきます。
技術陣の懸念などは「小さな問題」として、チリのごとく吹き飛ばされてしまったのです。
豊洲の問題も五輪会場の問題も、「もんじゅ」と同様の「計画が軽く扱われる」という日本特有の問題が根っこにあります。
小池都知事は、都民の支持をバックに、計画そのものを根こそぎ変えようと目論んだようですが、「時、既に遅し」の感があります。
都知事就任が1年遅かったということでしょうか。
しかし、国民の多くは、やりきれない思いを抱えたままです。
せめて「巨額の予算=巨額の利権」の構造を暴いてくれという切なる願いを都知事に託しています。
でも、小池都知事には、その構造を暴く力や情報を持っているスタッフがいないのではないかと思われます。
相当の難題と言わざるを得ません。
ただ、このような巨額の建設物の計画が「実にいいかげんである」という事実に、国民を気付かせた功績は大きいと思います。
欲を言えば、「計画の大切さ」にまで国民の意識が進むと良いのですが、どうでしょうか。
まだまだ道は遠いです。
そこには、「技術と政治の対立」という、最も深いレベルの問題があり、常に技術が負けてきました。
そして、ここでいう「政治」の当事者には、国民が含まれるのです。
計画問題の最大の利権者とは国民そのものなのだという自覚が必要なのですが、
当の国民はそのことに気づこうともせず、犯人探しばかりです。
原発問題も沖縄の基地問題も、そうした低次元での対立になっています。
日本国民の意識は、まだまだ夜明け前なのです。
「技術と経営の対立」は、国民を社員や顧客と置き換えてみれば、どの会社の根本の問題でもあります。
新年からは、経営問題として「未熟な日本の計画技術」を論じてみたいと思います。