大企業の相次ぐ不正(その2)
2017.12.19
不正の発覚が神戸製鋼所や日産自動車だけで止まりません。
29日、「三菱マテリアル」の子会社「三菱アルミニウム」でも検査データの偽装が発覚しました。
今後もまだまだ出てくるものと予想されます。
それは、前回指摘したように、日本の“ものづくり”の根本の考え方に原因があるからです。
日本においては、高い技術は人々の賞賛の的になります。
「外国だって同じだろう」と言われるでしょうが、少し事情が違います。
日本人は、どんな製品であろうと、高い技術には賞賛を惜しみません。
名もない一人の職人が作った包丁一本、ネジ一本に対しても、国宝を作った仏師に匹敵する賞賛を与える国が日本です。
外国でも良い物には評価が集まりますが、日本ほどではありません。
この感性は日本人独特なものであろうと思います。
「そのどこが相次ぐ不正と関係するのか」と、また言われそうですが、もう少し説明をさせてください。
JISなどの安全基準は“ものづくり”の基準でもありますが、最高品質の基準ではありません。
「安全に使えます」という基準です。
つまり、その基準ギリギリで作れば良いのです。
しかし作る側には、ここで2つの心配が生じます。
ひとつは「万が一にも、この基準を下回ったら大変だ」という心配。
もうひとつは「より良いモノを作らないと市場から見放される」という心配。
そこで、第一の心配から開放されるために、法律や公的規格が求めるより高い自社基準を設定します。
次に第二の心配から解放されるために、可能な限りもっと高い基準を設定します。
言っておきますが、これは悪いことではなく素晴らしいことなのです。
その上、鉄鋼などの素材製品を使用する自動車メーカーなどは、さらに自動車としての高い基準を設けます。
結果として、屋上屋を重ねた“相当に高い”日本品質が作られるわけです。
この高品質が世界に賞賛されるわけなので、くどいようですが、本当に素晴らしいことなのです。
だが、そのため、どうしても高価格となる傾向があります。
問題は、どのメーカーの誰もが、自社製品の品質が、法律や公的規格が求める安全基準より高いことを知っていることです。
いや、法律や規格の基準自体が高めに制定されていることまで知っているのです。
だから「少々手を抜いても大丈夫」という心理が働きます。
そんなところに、収益が厳しくなった上層部から厳しい「コストダウン」が要求されます。
しかし、合法的な手をやり尽くしても、上層部からの要求水準に達しない。
そんなとき、「悪魔のささやき」が聞こるのです。
「そもそも我が社の基準が高すぎるんだよ。少々下げたって問題ないよ」
そこで少し基準を下げてみました。
全く問題ありません。
その結果、だんだんと大胆になってきて、ついに基準以下の不正が発覚するところまで行ってしまうわけです。
2005年に発覚した姉歯事件も同じ図式だったのです。
しかし、「姉歯という人物が悪人だった」で片付けてしまい、上記の不正を生むメカニズムを軽視してしまったのです。
だから、12年経った今も全く変わらない日本の姿が露呈してしまったのです。