新車陸送の世界(2)

2025.06.02


当時19歳だった私を含めて15人ぐらいの陸送メンバーを乗せたマイクロバスが着いた先は、日産自動車の座間工場でした(この工場は日産の主力工場でしたが、1995年に閉鎖されました)。
時刻は夜の10時になっていました。
同工場は、当時、3交代制で24時間(つまり休み無しで)稼働していました。
おそらく当時の日本においては、多くの製造会社は同様の稼働状況だったと思います。
 
マイクロバスは、正門でチェックを受けた後、工場内の広い道路に入りました。
ちょうど夜間勤務の休み時間だったようで、数えきれないくらい立ち並んでいる工場群から疲れ切った表情の工員たちが構内道路に出てきて、タバコを吸ったり縁石に腰を下ろしたりしていました。
ゆっくりと走るバスの窓から、その光景を眺めていた私は、一瞬、バスを見上げた一人の工員と目が合いました。
疲れ切ったような彼の表情が過酷な深夜労働を物語っていました。
ですが、その後に自分が味わう世界は、それ以上に過酷で危険に満ちたものであることは、その時点ではまったく分かっていませんでした。
 
やがて、バスは広大な広場のような場所で止まりました。
私は、薄暗がりの中で、そこの光景に目を見張りました。
数百、いや数千台はあるように思える数の車が広場を埋め尽くしていたのです。
それもすべて新車。
この膨大な数の新車を、これから本牧埠頭まで、我々が運ぶのです。
そんな私の驚きを見て、横の席の社員が笑いながら言いました。
「安心しろ、運ぶのはウチだけじゃない。ものすごい数のウチみたいな会社があるんだよ」
そうだろうとは思いましたが、とにかく想像もつかない世界なんだなという思いがこみ上げてきました。
 
やがて、リーダーは私たちにカードを配りながら「各自、自分が運ぶ車を間違えるなよ」と注意を促しました。
横にいた先輩社員が「初めてだからわかんないだろう」と言って私のカードを見て、「この最初のアルファベットが車の置いてある場所なんだ。お前は“T”か。真ん中あたりだな」と走り始めました。
私も慌てて彼を追いかけて走ります。
ある場所で止まった彼は「いいか。“A”列が一番手前で、“Z”が最後列だ。
そして、ここが“T”だ」と、「T」を示す標識を指さしました。
次に、その後の2桁の番号を確認して、「これが横の配列だ。付いてこい」と、今度は横に走り出しました。
そして止まると、「87番はこれだ。これが、お前が今から運ぶ車だ」と言いました。
そこには、ピカピカの“出来立て”の2tトラックがありました。
ダットサン・トラック、通称“ダットラ”と呼ばれていた日産のヒット商品で、米国で売れに売れていた排気量1500ccの小型トラックです。
そして、その車は左ハンドルでした(当たり前!)。
つまり、北米向きの輸出車です。
先輩が「お前、左は初めてか?」と聞くので「ハイ」と返事すると、「ペダル類は右ハンドル車と同じだ。方向指示器とワイパーのスイッチが逆になるだけだ」と教えてくれました。
 
私は、その車の前方部分を見て気付きました。
「バックミラーが付いてないですね」
先輩は、「お~、忘れるところだった」と言い、手に持っていたバックミラーを私が乗る車の右側の窓枠に取り付けながら、言いました。
「いいか、この“取り外しできる”ミラーがお前のミラーだ。常に大切に持ってろ」
そして「アメリカ向けの車は、着いた先、つまりアメリカでミラーを取り付けるんだ。日本からはミラー無しで出荷する。でも、それだと陸送中は後ろが見えない。だから、こうして取り外しできるミラーを臨時に取り付けて運転するんだよ。埠頭に着いたら、そのミラーを外して持って帰り、次に運ぶ車に同じように着けるんだ」と教えてくれました。
「ハイ」と返答した私に向かって、彼は「おまえ、レーシングチームのメカやってるんだって。だったら運ぶ前の点検方法は分かるな。と言ってもなあ・・」と、そこで言葉を飲み込みました。
私は「うん?」と思いましたが、彼はそれっきり、「じゃあ、点検が済んだら、すぐに工場を出て、先行している仲間を追え。仲間が見えなくなったら、とにかく本牧埠頭に急げ」とだけ言うと、自分が運ぶ車を探しに去っていった。
いったい、彼は何を言いたかったのか。それは次回、分かります。