開戦直前の日本政治(3)
2021.12.28
真珠湾から80年の12月8日が来ましたが、8月15日に比べて国民の関心は薄いといえます。
「戦争の泥沼にハマった日」と「泥沼から抜けた日」という印象からでしょうか。
しかし、12月8日に至るまでの歴史を「悪い歴史」と一言で片付けてきたのが戦後日本です。
そこを中国や韓国に利用され、いや、欧米にも利用されてきました。
これらの国々が「敗戦」という日本の弱点を利用するのは外交戦略上当然ですから仕方ないとしても、日本国民が同調して自らの過去を否定する姿は悲しいものです。
私は、戦前の日本および世界情勢を、善悪ではなく確かな事実のみで考えたいと思い、本シリーズを書いています。
前号で述べたように、戦前の日本は全体主義国家でしたが、我々が今まで教えられてきたほど暗黒社会ではなかったようです。
たしかに、国家総動員法や治安維持法などが制定されましたが、その執行は極めて緩いものでした。
我々は、映画やドラマが描く極端な映像や物語に感化され、戦前の日本をナチス政権下のドイツのようだとするイメージを抱いてしまったといえます。
そして、戦前を暗黒社会として糾弾することが正義だと洗脳されてきたのではないでしょうか。
軍人だった私の父や伯父たちから「映画のように軍の将校が意味もなく兵隊を殴るなんて無かったな」と聞きました。
もちろん、そうした乱暴な将校もいたでしょうが、多くは士官学校で高等教育を受けた者です。
また、理由もなく兵隊を殴ったりした将校は罪に問われたと聞いています。
軍の秩序を守るためには、そちらのほうが当然のように思えます。
映画やドラマは架空の話ですから、それを歴史と思わないことですね。
日本の国家総動員法や治安維持法は、ナチスドイツの全権委任法などの強力な法に比べると、極めて緩いものでした。
現代では、これらの法を陸軍と結託した政府が強引に制定したように言われていますが、それもウソです。
これらの法は、野党の反対が厳しい中やっと議会を通過させたに過ぎず、その実態はまさにザル法で、あって無きがごとくの法でした。
むしろ、法を厳しく進めようとした官僚が逮捕されることまで起こったのが事実です。
このように、政府の強制力は弱かったのですが、戦争の匂いを嗅いだマスコミに扇動された過激な一部国民が「贅沢は敵だ」とか「パーマネントはやめろ」などの標語を作り、他者に強制するという自粛社会ができていったのです。
そうして、民間の巡察隊などが結成されて人々を検閲し、日本にふさわしい「新しき国民生活」なるものを強制していったのです。
なにやら、「自粛警察」などと言われるコロナ過の現代と変わりませんね。
戦前は「国家権力が憲兵や特高警察などを使って徹底的に国民を弾圧していた」と、今でもドラマなどで意識下に刷り込まれています。
もちろん、そうした面がなかったとは言えませんし、実際に被害に会われた人もいたでしょう。
ただ、そうした特殊面だけにスポットを当てると、歴史の大きな流れを見誤ります。
実態は、マスコミに煽られた国民が政府を突き動かす形で過剰な緊急事態を作り出し、その力が大きな強制力となって国を動かしたのです。
こうしたマスコミと一体になった国民からの強力な圧力に抗しきれないまま、時の政府は米国の戦略に誘導される形で日米開戦に至ったのです。
今回のコロナ過への対応を見ても、他国の強力な対策に比べて日本の緊急事態は非常に緩く、国家権力の持っている強制力が弱いことが分かります。
日本の感染者数が劇的に下がっていることを「検査数が少ないから」とか「感染者数をごまかしている」と中傷する国はありますが、いつもの誹謗中傷に過ぎません。
今の事態は、日本人特有の同調圧力が良い方向に働いた結果だと思います。
私自身、マスク無しで通りを歩く勇気(?)はありませんし、手洗いは完全に習慣になっています。
こうした同調圧力が、今は吉と出ていますが、戦前は凶となったのです。
良いも悪いもなく、これが日本(というより日本人)なのです。
次回、開戦直前の日本を俯瞰しながら、日本人の意識を冷静に分析してみたいと思います。