開戦直前の日本政治(5)

2022.03.01


開戦前の首相であった近衛文麿と東条英機、片や文官、片や軍人のこの二人は全く異なる性格ですが、共通に持っていた欠点があります。
それは、トップリーダーとしての意志と資質に欠けていたことです。
誰もが知るように、近衛家は平安時代から続く五摂家(近衛、一条、二条、九条、鷹司)筆頭の名門です。
ゆえに、近衛文麿は常に首相候補に挙がっていたのですが、「なりたくない」一心で逃げまくっていました。
昭和天皇からの要請すら辞退したくらいですから、とにかく嫌だったようです。
それでも周囲に担がれ、仕方なく首相の座に就いたわけです。
彼は、頭脳明晰で稀に見る「聞き上手だった」と言われています。
たぶん、岸田首相みたいな人だったのでしょう。
しかし、なにしろ本人に権力を維持・活用する意志が無いのですから、軍縮条約を不満とする世論が過激一方になる世相の中で政権を投げ出してしまいました。
トップリーダーとしての資質はあれども意志に欠けていたということです。
 
一方の東條英樹は、陸軍大学の成績は並でも、当時のエリートには違いありません。
さらに昭和天皇への忠誠心は人一倍厚く、天皇からの信頼も得ていました。
その天皇からの指名ですから勇躍、首相の座に就きました。
しかし、彼の軍歴はあくまでも軍事官僚としての経験であり、軍事面での経験に欠けていました。
また政治家としては、お世辞にも「優れていた」とは言えない程度です。
つまり、トップリーダーとしての意欲はあれども資質に欠けていたということです。
 
軍事面では、出身母体である陸軍思想に凝り固まってしまい、もう一方の海軍思想を理解していませんでした。
陸戦主体の中国戦線では効果のあった陸軍思想ですが、太平洋の戦いは海戦主体です。
かつ、要衝となる島の防衛や上陸作戦には陸戦も欠かせません。
ゆえに、陸海軍を統合する最高指導部が全軍の上に立たなければなりません。
たしかに、日本は「大本営」を復活させましたが、会議を繰り返すばかりで、結局、最後まで有効な最高指導部とはなりませんでした。
有名な「大本営発表」を見れば、弊害ばかりが目立ったトップ組織でした。
 
ただ、こうした戦争遂行体制の欠陥を彼ら二人だけの責任にするのは酷といえます。
実際、近衛首相はともかく、近衛内閣のブレーンは、陸海軍だけでなく政治も含めた「政治・軍事の統合組織」を企画していました。
その中身は、内閣とは別に、内閣直属の別のスタッフ機構で首相の指導力を強化しようという構想です。
現在の「首相補佐官」制度に近い組織です。
しかし結局、企画院と内閣情報部が新設されただけで“尻切れトンボ”で終わってしまいました。
こうした非常時における組織改革の甘さは、コロナ禍の現代でも変わっていません。
トップリーダーが、「非常時だから即断行する」か、「非常時だが事態が少し収まるのを待ってから改正する」かの違いを理解していないのです。
今回のコロナ対策を見れば、現代の日本が少しも変わっていないことが分かります。
小手先の手段ばかりで、「非常事態法」の議論すらできない状態です。
現在の日本と酷似している当時の情勢を、次回もう少し詳しく述べたいと思います。