中国の思考法を学び、対処する(2)
2020.09.01
新型コロナウィルスの感染拡大を防ぐという理由で、人びとの自由や権利を制限することを正当化する考え方があります。
こうした考え方を「功利主義」と言います。
一方、目的は正しくても、そのために人権を無視してはいけないという、手段の正当性を重視する考え方があります。これを「義務主義」と言います。
コロナウィルスの発生源でありながら、いち早くウィルス禍を抑え込んだように見える中国を、一般には「一党独裁の国家だからできるんだろう」と考えがちです。
たしかに、一党独裁の政治体制がそれを可能にしているといえますが、それ以上に、中国社会全体に「功利主義」的な思考が強く、「義務主義」的な思考が弱いことが大きな要因といえます。
この功利主義的思考が社会に深く浸透しているため、多くの中国人は、そうした意識もなく、自らの幸福や安全・安心を求め、国家による「監視」を全面的に受け入れているのです。
良くも悪くも、これが中国という国です。
コロナウィルスの感染拡大を受けて、テレワークやオンライン会議等のデジタル技術の活用が世界的に広まっています。
ただ、日本ではこうしたテクノロジー活用に遅れが目立ち、「ハンコ文化が残るせいだ」とか「政府の対応が遅い」といった批判的な報道が目立ちます。
しかし、遅れの原因はそれだけではないでしょう。
日本でデジタル化が一定以上に広がらない背景の一つには、中国のようにデジタル技術を使って国家が国民を監視・管理する「功利主義」的な社会になるのは嫌だ、という拒否感が日本社会の底流にあるからといえます。
しかし、疑問も湧きます。
そうした考え方は、戦前まではごく少数だったはずです。
日本は、国家による統制を受け入れ、一度も国民が革命を起こすことがなかった歴史を持つ国です。
根底では、日本人も中国人と同じような「功利主義」思想が流れている可能性があるといえます。
そうした思想の復活が抑えられている現状は、前章で解説した米国GHQによるWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)がいかに徹底していたかを物語っています。
惨めな敗戦とWGIPによる教育の相乗効果で、日本は、他の民主主義国家と比べても国家の一元的な情報管理や監視テクノロジーに対して、国民レベルの拒否感が強い国家になっているのです。
しかし、ITテクノロジーの発達により、全世界的に監視社会が進展していることは事実で、中国がその先頭を走っていることも事実です。
つまり、このままでは、中国の一人勝ちになってしまう恐れが大きくなっているのです。
それに対抗するため、日本を含めた民主主義国家でも、こうしたITテクノロジーの普及が避けられない事態になっています。
国家が国民の基本的人権を守るという「義務主義」的思想が、その逆の「功利主義」的思想を上回る日は、中国には来ないかもしれません。
少なくとも、それを期待することは、日本を含めた民主主義国家にとっては危険すぎます。
次号では、ITによる監視社会の進展の中で、日本がどうすべきかを論じます。
こうした考え方を「功利主義」と言います。
一方、目的は正しくても、そのために人権を無視してはいけないという、手段の正当性を重視する考え方があります。これを「義務主義」と言います。
コロナウィルスの発生源でありながら、いち早くウィルス禍を抑え込んだように見える中国を、一般には「一党独裁の国家だからできるんだろう」と考えがちです。
たしかに、一党独裁の政治体制がそれを可能にしているといえますが、それ以上に、中国社会全体に「功利主義」的な思考が強く、「義務主義」的な思考が弱いことが大きな要因といえます。
この功利主義的思考が社会に深く浸透しているため、多くの中国人は、そうした意識もなく、自らの幸福や安全・安心を求め、国家による「監視」を全面的に受け入れているのです。
良くも悪くも、これが中国という国です。
コロナウィルスの感染拡大を受けて、テレワークやオンライン会議等のデジタル技術の活用が世界的に広まっています。
ただ、日本ではこうしたテクノロジー活用に遅れが目立ち、「ハンコ文化が残るせいだ」とか「政府の対応が遅い」といった批判的な報道が目立ちます。
しかし、遅れの原因はそれだけではないでしょう。
日本でデジタル化が一定以上に広がらない背景の一つには、中国のようにデジタル技術を使って国家が国民を監視・管理する「功利主義」的な社会になるのは嫌だ、という拒否感が日本社会の底流にあるからといえます。
しかし、疑問も湧きます。
そうした考え方は、戦前まではごく少数だったはずです。
日本は、国家による統制を受け入れ、一度も国民が革命を起こすことがなかった歴史を持つ国です。
根底では、日本人も中国人と同じような「功利主義」思想が流れている可能性があるといえます。
そうした思想の復活が抑えられている現状は、前章で解説した米国GHQによるWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)がいかに徹底していたかを物語っています。
惨めな敗戦とWGIPによる教育の相乗効果で、日本は、他の民主主義国家と比べても国家の一元的な情報管理や監視テクノロジーに対して、国民レベルの拒否感が強い国家になっているのです。
しかし、ITテクノロジーの発達により、全世界的に監視社会が進展していることは事実で、中国がその先頭を走っていることも事実です。
つまり、このままでは、中国の一人勝ちになってしまう恐れが大きくなっているのです。
それに対抗するため、日本を含めた民主主義国家でも、こうしたITテクノロジーの普及が避けられない事態になっています。
国家が国民の基本的人権を守るという「義務主義」的思想が、その逆の「功利主義」的思想を上回る日は、中国には来ないかもしれません。
少なくとも、それを期待することは、日本を含めた民主主義国家にとっては危険すぎます。
次号では、ITによる監視社会の進展の中で、日本がどうすべきかを論じます。