日本経済は新次元の入り口にある(その6)

2018.01.17

前号で、「新次元の経済に入るためには、出来る限り早く若い人たちに主導権を渡す必要がある」と書きましたが、「シニア世代は引っ込め」と言いたいのではない。
私とて、その世代なのであるが、まだまだ働きたい。
 
今の日本、「少子高齢化」で騒いでいるが、少し騒ぎ過ぎではないか。
やがて若い人一人が老人一人を支えなければならない「おんぶ社会」が来るとか、不安を煽る報道や論評ばかりが増えている。
 
ちょっと考えれば分かることだが、それらの現象を煽っているのは、人々の不安を「メシの種」にしている人たちである。
不安を煽るだけで、解決策や生きていくノウハウを教えてくれるわけではない。
たぶん、実際に親の介護で苦労している人もあまりいないのではないか。
 
何歳になろうが、病気にでもならない限り、働けばよいのである。
いや、たとえ病気になっても、気持ちを強く持ち、考え抜けば、働けるのである。
最近の「働き方改革」に違和感を持つのは、働くことを「悪」と捉えていることにある。
働くことを「強制されるイヤなこと」と決めつけていることにある。
 
明治以降の日本は、欧米を模範として追いかけてきたことで、いつしか欧米の価値基準が「善」であるとの錯覚を持ってしまった。
しかし、よく考えてみれば分かるが、欧米は奴隷制度によって経済を作ってきた社会である。
古くは、戦争で破った国の国民を奴隷として使い、帝国主義の時代は、植民地を奴隷とし、富を収奪してきた。
そして、近代は、開発途上国からの移民を奴隷として扱ってきた。
ゆえに、働くことは「奴隷の仕事」との意識が深く浸透しているのである。
だから、当然のように、自分たちの働く時間を短くすることが「善」なのである。
そして、それが可能なのは、植民地から簒奪した莫大な富の下敷きがあり、底辺労働を支えている移民がいるからである。
 
日本は、明治以降、そんな欧州を手本として必死に追いかけ、そして失敗した。
なのに、まだ欧州を理想の国家とするのか。
そこから解き放たれて、新次元の入り口に向かうことが、これからの日本である。