水商売からビジネスを学ぶ(その4)
2024.12.03
資金がない中でホステスの募集はできないので、女性接待の水商売としては絶望的な状況でした。
そこで考えた案は、付き合っていたガールフレンドに、「友達を誘ってアルバイトしてくれないか」というものだった。
母は心配したが、「この案しかない」と腹をくくり、彼女に頼み込んだ。
彼女は、意外とあっさりと「いいわよ!」と返事して、友人を誘って店に来てくれた。
こうなると問題は給料である。
当然ながら、女子大生の普通のアルバイトよりは高い日給を提示したので、二人は二つ返事でOKだった。
しかし、お店の資金は、その日給を出す資金すら怪しい状況で、店が順調に回転し、利益から給料を払えるまでの間の資金が必要だった。
その資金は、私が行っていた別のバイトで得るお金を当てようと考えたのである。
その頃、私は深夜から明け方まで、新車を運ぶ陸送のバイトをしていた。
普通の運送業ではなく、自動車メーカーの工場から横浜の埠頭まで輸出用の新車を運ぶバイトである。
当時も、5台くらいをいっぺんに運ぶ大型輸送車はあったが、急激なモータリゼーションの高まりと空前の輸出量増大に対処できず、自動車メーカーの輸送を担う子会社は、1台ずつ人間が運転して運ぶ「単騎」と呼ばれる方法を併用していた。
当然、大量の運転バイトが必要で、かなりの高給で募集していた。
私は、そうした会社の下請けの運送会社に登録して、深夜に輸出用の新車を運んでいたのである。
(この話は、そう単純な話ではないので、後日、改めて書こうと思います)
この陸送の賃金は定額ではないが、頑張れば、当時の新入社員の3~4倍は稼げた。
つまり、当時の私は高額所得者(?)だったわけであり、女子大生2人のバイト代くらい負担できたのである。
一方の2人にしてみれば、他のバイトより高い賃金がもらえる。
つまり、「三方良し」の仕組みだったのである。
資金確保に窮していたから、こうした非常識な策が実行できたといえるので、まさに「ピンチこそチャンス」なのである。
もちろん、営業努力も必死に行った。
チラシを作り母たちと駅前で配ったり、近所のお店に貼らせてもらったりもした。
そうした努力もあり、また女子大生2人の素人っぽさも受けて、来客は増えていった。
一番の問題は、素人バーテン(つまり私)のカクテル作りの腕前にあった。
辞めたバーテンの残した手書きの冊子と購入した「カクテルの作り方」の本だけが頼りの情けない状況で、毎晩が綱渡りであった。
実は、自分の作ったカクテルを飲むお客の顔をまともに見られないほどの心理状態に陥っていた。
そんなある夜、近所のショットバーのバーテンが飲みに来た。
彼は、私の作ったカクテルを飲んだ後、顔をしかめ、「不味くはないが、美味くもない」と、私だけに聞こえる小声で言った。
私は「すみません。作り直します」と頭を下げたところ、彼は意外なことを言った。
「あんちゃん、明日、店を開ける前にウチに来ないか」
意味が理解できず、ボーとした顔の私に「じゃあな」と、彼は一杯分の代金をカウンターに置いて店を出て行った。
「はて?」と少し前のNHK朝ドラの主人公のような思いの私だったが、翌日の夕方、大学の授業を終えて店に来た私は、仕事をする前に近所のそのショットバーのドアをおそるおそる開けた。
さて、どんな展開が待っているのか、それは次号で。