これまでの経済、これからの経済(3)

2019.11.18

金貸しは効率の良い商売です。
生産設備も社屋も不要、従業員がいなくても一人で出来ます。
モノを作る時間も不要です。
ゆえに、貨幣経済の誕生とともに生まれ、発展してきた商売です。
 
そうは言っても、流通する貨幣の信用度が低い時代はリスクの高い商売で、破綻する者も多かったようです。
貨幣の信用度が上がったのは、江戸時代です。
江戸時代は、驚くほど平和な時代で、経済が大いに発展した時代です。
経済の基となる人口は初期の1500万人から幕末の3200万人へと2倍以上に増加しています。
興味深いのは耕地面積です。
この間、田畑は210万町歩から320万町歩と約1.5倍しか増えていないのです。
しかし、庶民生活は豊かになり、食費は人口増以上に増えています。
つまり、農業技術が向上し、耕作面積あたりの収穫高が2倍に増えたというわけです。
本当に良い時代だったのです。
 
こうした経済の発展に貨幣価値の安定が欠かせないことを徳川幕府はよく理解していました。
そうして、貨幣の価値を幕府が保証することで貨幣経済は大いに発展しました。
また、城勤めの侍が世襲制で身分保証があったことでカネを貸すほうのリスクは大幅に軽減されました。
侍相手の商売が安全になり、庶民生活も安定すると、消費は上昇の一途をたどります。
当然、収入以上の消費需要が増えれば、金貸しの市場も大きくなります。
それでも、借りたほうの収入増加が見込めれば、金貸しの安全性も高くなります。
 
こうして金貸しの安全性が上がるにつれ、利息は下がってきました。
ところが、先号で述べたように、利息は25%ぐらいで下げ止まりました。
この金貸し利息の限界は、借りる側の破綻が一定の割合で起きることから生まれます。
定期収入がある侍でも、身の丈以上に借りれば、返済のための借金という地獄に陥ります。
ついには刀を質に入れる者さえ出てくるのは、時代劇でもおなじみのシーンですね。
 
こうした侍が増えると、困った事態になります。
侍は、いざという場合の軍事戦力です。
しかし、竹光の刀を差した侍では戦力になりません。
幕府の直轄戦力である旗本でも事情は同じでした。
仕方なく幕府は徳政令を発し、侍の借金を強引に棒引きさせ、刀を取り戻させました。
こうなると、金貸しは大損します。
こうした危険を考えて、利息は25%ぐらいで下げ止まりしたというわけです。
 
現代でも、こうした事情は同じです。
政府が現代の徳政令を施行したため、一時期、隆盛を極めたサラ金会社はみな破綻しました。
次回は、その話をしましょう。