あの東芝が・・・(その1)
2017.03.17
私が社会人になった昭和40年代では、東芝は、日立や三菱と並ぶ超優良企業でした。
大学4年次の成績トップだった友人は、日立の内定を蹴って東芝に入社しました。
つまり、誰もが羨む就職先だったわけです。
この頃、誰が今の東芝の姿を想像し得たでしょうか。
直接の要因は、東芝が買収した米国の原発メーカー、ウエスティングハウスの巨額損失にあると言われています。
その話で、私が原発に関わっていた頃のことを思い出しました。
東電の福島第一原発で、放射能調査プロジェクトに参加していた時のことです。
東北大震災で事故が起きる35年も前の話です。
福島第一原発の1号機は米国GE社の設計ですが、2号機には日立と東芝が設計に加わりました。
そして、3号機からは、両社が代わる代わりに設計・施工・運用を請け負ってきました。
つまり、3号機からは両社の優劣が顕著に見て取れたわけです。
その時の印象ですが、ひと言で言って「東芝の炉は、清掃が行き届いておらず、安全管理もずさん」でした。
これは、私だけの意見ではなく、チーム内全員の意見でした。
そして、その“ずさんさ”により、私は、東芝の炉を調査中に意図せぬ被曝を蒙(こうむ)ったのです。
その日は「レベル4」という最危険区域に入っていないのに、大量の被曝をしたのです。
「おかしい」と思い、放射線測定器を持って、その日の私の行動をトレースしました。
すると、「レベル2」の区域で異常に高い線量を検知しました。
その部屋の一角に廃棄物として積まれていた大きなワイヤーロープの束からでした。
私は、その近くで、その日のデータ記録をチェックしていて、意図せぬ被曝をしたわけです。
もちろん、「レベル2」は、高濃度に汚染されたモノを置いてはいけない区域です。
このことは、東電の担当者には報告しましたが、その後のことは不明です。
下っ端の私の報告など捨て置かれたのかもしれません。
あるいは、東電から東芝に注意はしたが、「はい、以後気を付けます」程度で終わっていたのかもしれません。
どちらにしろ、その後の東芝の動きに変わった様子もなく、清掃状態も改善されませんでした。
今回の東芝の苦境が明るみに出た時に、すぐに原発でのことが思い出されました。
どんな組織であれ、現場の不具合が上層部に上がっていかない体質ほど怖いものはありません。
今の東芝の姿は、あの時、すでにその芽があったのだと思います。
ウエスティングハウスの問題は、次回、詳しく解説します。