今後の建設需要(20):建設論評
2021.10.18
今号は、建設需要の話と少し離れますが、大きな意味ではつながる話をします。
9月24日付けの日刊建設通信新聞の「建設論評」に目を引かれました。
「最適はつまらない」との題名に「?」と思い、読み始めました。
最近のトレンドとなっているDXやAIといった技術のデジタル化が行き着く「最適化された世界」は、「つまらない世界になる」という警告のような内容でした。
同紙は、建設産業のデジタル化の旗振り役をしているように感じていたので、「ほう~」と思って読み進みました。
結論は、日頃、私が感じていた違和感を見事に代弁してくれていました。
建設産業に限らず、現代のデジタル化が目指しているのは、まさに「最適化」です。
しかし、AIと呼ばれていても、半導体素子が人間の頭脳のように働くわけではありません。
所詮は、0と1の2進法の世界です。
実態はソフトウェアの世界に過ぎません。
かつ、そのソフトウェアは、みな同じようなアルゴリズムで作られていますから、最適化の行き着く世界は、みな似たような世界になってしまいます。
つまり、「多様性を重んじる世界へ」と言いながら、一点に集約していく「つまらない世界」に向かっているのです。
純粋に技術だけの産業ならば、それも良いでしょうが、建設産業は「人間の営みを支える産業」です。
解答が最適化された“ひとつ”であって面白いわけはありません。
と、ここで古い記憶がよみがえりました。
私の長女が小学6年の時で、私が、たった1回だけ授業参観に行った時のことです。
算数の授業で、先生が図形の問題を出し、生徒が答えるという形の内容でした。
淡々と授業は進んでいき、最後に、先生は難しい問題を出しました。
誰の手も上がらず、先生は「しょうがないな~」と言いながら、黒板に答えを描いていきました。
そこまでは普通の授業風景でした。
ところが、最後に先生が「これがただ一つの答えです」と言ったことで授業の様子が一変しました。
張本人は私です。
「答えは、これひとつ」と聞いた瞬間、無意識に手が上がり、「違います、まだ他に答えはあります」と言ってしまったのです。
授業参観に父兄が乱入した格好になったのですから、参観していた父母も子どもたちも、一斉に私のほうを見てフリーズし、教室は静まりかえりました。
私は「しまった!」と思ったのですが、先生は落ち着いて「では、前に来られて黒板に答えを描いていただけますか」と私に問い掛けました。
その言葉で、私は前に出て、黒板に、もう一つの解答を描きました。
その瞬間、子どもたちが一斉に声を上げたのです。
「こっちの答えのほうがキレイだ」
驚いた私は、先生を見ましたが、先生は落ち着いて「確かにそうだね。こっちのほうがキレイだね」と仰ってくれました。
私が後ろに戻る時、子どもたちは一斉に私に向かってVサインを送ってくれました。
私は、授業妨害するつもりも、自慢するつもりもなく、ただ純粋に「答えというものは、たった一つではない」ということを、子どもたちに考えて欲しかったので、思わず手が上がってしまったのです。
多分、その真意を分かってくださって、私に「答えを・・」と言ってくださった先生がすばらしいと思いますし、結果としては良かったと思っています。
長々と昔話を書きましたが、日刊建設通信新聞の「建設論評」も、人間の才能が単なる最適ではない“リズム”を生み出す“と、人間の感性の重要性を説き、そうした人材教育の大切さを説く結論になっていました。
さて、同紙は、自らが興したこの問答に対し、どのような回答を出していくのでしょうか。
今後の紙面を楽しみにしています。