原発の再稼働(その2)

2021.09.02


1回飛ばしになりましたが、6月15日号の続きです。
その号では「私が原発内で経験した少々“やばい”話をしたいと思います」と書きました。
正直言って、この手の話は書くことがためらわれます。
私が原発廃絶には賛成できないことは、本メルマガで何度も述べてきました。
しかし、過去の、そして今の原子力行政に賛成できないというジレンマもあります。
 
先日、政府は脱炭素を踏まえた2030年までのエネルギー比率を発表しました。
お粗末な内容で、「こんな政府で大丈夫か」と真剣に危惧しています。
この計画によると、原発比率は20~22%(現状維持)となっていますが、現状維持とは、現在停止中の原発をすべて再稼働するということです。
とても現実的とは思えません。
私からみても再稼働は無理と思える原発も相当数ありますし、安全確保や地元対策、世論の動向を考えれば、半分も動かせないでしょう。
こんな計画を発表する政府および官僚の劣化が本当に心配になります。
 
こうした空気の中で、過去の“やばい”話をすることに大きな葛藤があること、それはご理解できるでしょうか。
福島原発事故の際、弊社のHPに原発や核についての連載記事を掲載しました。
当時は反響も大きくHPの閲覧数が一気に3桁も増えたことにびっくりしたものです。
多くの質問もいただき、できる限り返答もしました。
今でもHPの「アーカイブス」で閲覧ができますので、ご興味のある方は覗いてみてください。
 
前段ばかり長くなってすみません。
私は、あの福島第一原発で「放射性廃棄物の動向調査」の特別チームに入り、半年ぐらい原発内での仕事に従事しました。
予備知識はあっても、そこで体験し、また見聞きしたことは驚くことばかりでした。
何より自らがかなりの被曝をしたことで、身を持って放射線の実態が理解できました。
まず、かなりの被曝をしても「放射線を浴びた」という実感がまったくゼロということを述べておきます。
1日の許容量をかなり超える被曝をしても、自覚症状は皆無です。
それがかえって恐ろしいともいえます。
体内の臓器や血液は確実にダメージを受けているからです。
あとは、被曝した本人の回復力にかかっているのです。
その力が弱ければ、あるいは、当人の回復力以上の被曝を受ければ、やがて症状が出てくるのです。
 
私が働いていた時代にも様々なことが起きました。
作業員が燃料プールに落ちるという事故も発生しました。
使用済み核燃料が保管されているプールですから、大変なことです。
幸い、底にある燃料棒に触れることなく引き上げられましたが、その作業員のその後はいっさい不明です。
そうした時の箝口令は徹底していましたが、それが良いとは思えません。
 
作業員が落ちた燃料プールは、各原発内の格納容器に隣接して設けられています。
格納容器から取り出した燃料棒を水に漬けたまま燃料プールに移動するため、水路でつながっています。
こうした使用済み燃料棒を冷却するため、プールの上部は完全に開放されています。
見た目は競泳プールのようですが、中はとんでもない状態なわけです。
一番の問題は、安全確保がほとんどなされていないことです。
一番古い1号炉は、米国GE社の設計ということもあり、危険な箇所が随所にありました。
このプールの上に突き出した作業用設備があり、移動の障害になっていました。
我々は、作業で移動の度に、設備の取手などを掴み、水面上に身を乗り出すという有様でした。
もちろん、プールの水面に触れないように細心の注意を払っていましたが、緊張を強いられました。
ゆえに、作業員が落ちたときも、チーム仲間と「落ちるよな・・」と話したものです。
 
次回以降も、こうした話をお伝えしようと考えていますが、気持ちが持たずに中断もありえますので、あらかじめ、お許しを得ておきたいと思います。