開戦直前の日本政治(2)
2021.12.01
つい先日までの感染拡大がウソのように、日本のコロナ感染者が激減しています。
その要因について様々な意見が飛び交っていますが、決定的な要因はわからないままです。
ひとつではなく複数の要因が相乗効果を挙げているように思いますが、最も大きいのは日本国民の同調意識ではないかと思うのです。
非常事態宣言が解除された今も、マスク無しで歩く人はほとんど見かけず、夜の街の人出も思ったほどには増えていないようです。
飲食店等のアクリル板はそのままだし、入るときのアルコール消毒、検温もそのままです。
ですが、文句を言う人はまず見かけません。
かく言う私もすべて同調していますから、まさに日本人です。
「そのうち緩んで、また感染者が増えるさ」という声もありますが、正直分かりません。
さて本題です。
戦前の日本をあの戦争に導いたのは東条英機たちA級戦犯だとして、日本の戦後が始まりました。
これが米国GHQの策略だとしても、彼らが驚くほど、日本国民は従順にこの裁判を受け入れました。
これも、良くも悪くも日本人の同調圧力の結果といえます。
しかし、いかに要職にあったとはいえ、たった7人であの大戦争を起こせるものでしょうか。
その疑問から、確認できている事実をベースに開戦前夜の日本を追ってみました。
1940年、ナチスドイツは電撃戦でフランスを破り、あっという間にソ連を除く欧州大陸を制圧しました。
残った英国は、ドーバー海峡という自然の防壁のおかげで踏みとどまっていましたが、連日の空襲で甚大な被害を受け、当時のマスコミは「英国の陥落は時間の問題」との報道を続けました。
巷では、こうした報道に触発された大衆による「即刻、ドイツと手を組むべき」との声が日増しに強くなってきました。
ドイツとの同盟に消極的で、英米派と見られていた米内光政首相へのマスコミ批判が続き、その扇動に乗り、英米派を追放した新体制を作るべきとの世論が大勢を占めるようになりました。
この頃、日本の巷で流行った言葉が「バスに乗り遅れるな!」です。
こうした声に押される形で米内内閣は倒れ、第2次近衛内閣が誕生します。
近衞文麿首相は、あの細川護熙元首相の祖父にあたりますが、優柔不断なところがあり、困難な決断には不向きな人でした。
「そんな人がなぜ?」と思うのが普通ですが、誰もが知るように、近衛文麿は典型的な世襲貴族です。
今も昔も、日本人は「由緒正しき家柄」が好きなのです。
政治家に世襲が多いことを見ても、現代でも、その意識は健在なようです。
そうした世論の風潮によって近衛文麿は再び首相に担ぎ上げられました。
しかし、戦争の匂いが濃くなる国際情勢の中、過激になる一方の世論を抑えることなど、近衛首相には到底無理な課題でした。
強行意見が大勢を占める世論に押され、近衛内閣による日独伊三国同盟の締結、大政翼賛会の設立という戦争への一本道が出来上がっていったのです。
これまで、大政翼賛会は、時の近衛内閣が軍部と結託してすべての政党を無理やり解散させて作り上げたものと言われてきました。
私も、そのように教わってきました。
しかし、それはウソと言っても良い歴史認識です。
強制ではなく、ドイツによる欧州席巻という報道に扇動された世論の大きな同調圧力に抵抗できなかった各政党が「自ら解散し」、日本に政党がなくなったことが要因なのです。
大政翼賛会は、近衛内閣が窮余の策として作ったものに過ぎなかったのです。
戦前の日本の国家権力は、現代言われているほど強くはなかったのです。
一部に狂信的な好戦派はいましたが、軍部の大勢も「対米戦争は避けるべき」との考えでした。
当時、陸軍将校だった私の父には将官の叔父がいました。
生前の父は「叔父から聞いた話」として、陸軍上層部は対米開戦の回避を図っていたと語っていました。
極悪非道な陸軍というレッテルは、国民を扇動して戦争を煽ったマスコミが、戦後、自らの罪を隠すため捏造した「ウソの歴史」なのです。
戦後作られた映画やTV番組も、そうした歴史観に基づくものが多く、今でも多くの国民が、そうした歴史観を信じてしまっています。
次回は、そのことを少し述べたいと思います。