日本の建設技術
2013.04.30
技術の発達には2つの時期がある。
ベースの技術(要素技術)が発達する時期と、それらの技術を組み合わせた融合技術(システム技術)が発達する時期である。
近代では、1800年代後半のエジソンの時代に電気が実用化され、電気を使った要素技術の発達が始まった。
この時期は、第1次大戦の前1900年台初頭まで続いた。
その後、システム技術の時代が到来したのだが、帝国主義という時代背景の下で、軍事優先の発達を遂げるに至った。
2つの世界大戦はその結果としてもたらされた災禍である。
システム技術の発達は戦後も続き、1969年のアポロの月着陸でその頂点を極めた。
アポロに搭載されたコンピュータは、今日我々が使っているパソコンから見てもおもちゃのような代物である。
よくぞ、あんなコンピュータで月まで行けたもんだと感心するが、それがシステム技術の力なのである。
ベースの技術(要素技術)が発達する時期と、それらの技術を組み合わせた融合技術(システム技術)が発達する時期である。
近代では、1800年代後半のエジソンの時代に電気が実用化され、電気を使った要素技術の発達が始まった。
この時期は、第1次大戦の前1900年台初頭まで続いた。
その後、システム技術の時代が到来したのだが、帝国主義という時代背景の下で、軍事優先の発達を遂げるに至った。
2つの世界大戦はその結果としてもたらされた災禍である。
システム技術の発達は戦後も続き、1969年のアポロの月着陸でその頂点を極めた。
アポロに搭載されたコンピュータは、今日我々が使っているパソコンから見てもおもちゃのような代物である。
よくぞ、あんなコンピュータで月まで行けたもんだと感心するが、それがシステム技術の力なのである。
要素技術とシステム技術の大きな違いは、人間の介在の有無である。
半導体は人間の手を経ずに大量生産される。
パソコンやスマートフォンも人間の介在はごく僅かである。
だから、これらは典型的な要素技術である。
今や、車や家電製品もそうなってしまった。
要素技術の発達は、熟練工の腕を機械が代替してしまう生産の仕組みを作り上げた。
言いかえれば、機械さえあれば、一般工だけで高性能な製品が造れてしまうのである。
欧米→日本→韓国・中国→東南アジアへと生産地がシフトするのは当然のことと言える。
しかし、建築や土木は、人の介在余地が大きい世界である。
つまり、システム技術(融合技術)なのである。
ゆえに、建築・土木の技術者は、システム技術の人材でなければならない。
それなのに、近年の建設産業界は、そこを軽視してきたのではないか。
その結果、単機能の技術者、技能者ばかりが増えてしまったのではないか。
たとえば、設計者は施工のことを知らない。施工者は設計が分からない・・
建設産業は人の手による産業分野だ。
先端技術があってもすべての過程に人の手が入らなければ造れない。
現場状況によって材料と工法は一律ではなく、人の手によって変容させられるものである。
ここを考えていかなければならないことを痛感する。
以下の文章は、韓国の論説から引用したものである。とても考えさせられる一文である。
「これからの融合の時代に必要な人材を“ブリコルール”と呼ぶ。工学と美学に橋をかけるブリコルールが必要な分野、それが建設産業だ。
建設産業でブリコルールは建築家に似たエンジニア、エンジニアに似た建築家、エンジニアと建築家の間のコンサルタント、または現場の熟練工でありうる。
この人たちが与えられた条件を新しい方式に転用する逆発想をする時、高付加価値の結果が出てくる。
日本の建築家の伊東豊雄氏は韓国紙のインタビューでこういう話をした。
『韓国の建築は優秀な人材はいるが、社会が新しいものを許さないのが問題だ。日本は比較的新しいものを容認する文化がある』。
私たちより20年先に不動産バブルの崩壊とともに建設産業の沈滞を経験している日本が、世界最高の建築強国の地位を維持している秘訣であろう。」