建設産業が生まれ変わるために必要なこと

2015.05.31

5月29日付けの「建設通信新聞」の「建設論評」に「時は今!」と題する社説が載った。
労働力不足、生産性向上、人材不足、技能者支援など、建設産業の諸問題の根源が人間問題にあることを指摘し、業界が「真剣に取り組んできたようには思えない」と痛切な批判を述べている。

本紙の読者の多くは建設産業の経営陣および管理職である。
紙面を読みながら、おそらく「そんなことは分かっている」と舌打ちしながら、何も有効な手が打てない現実に暗澹として、お茶をすする姿が目に浮かぶ。

私は、大学を出た後、27歳までコンピュータメーカーでSE(システム・エンジニア)をしてきた。
その後、建設産業に転職し、現場勤務を志願した。
それ以来、40年間、この産業で働いている。
自分が経験した2つの産業を比べてみて、気付いたことがある。
世間の評価は、圧倒的にシステム産業のほうが上である。
給与は・・なんとも言えない。
個人の能力差が大きいことは、両産業とも同じである。
決して建設産業が低いわけではない。
建設産業のほうが低い水準の人が多いと思われがちだが、システム産業の底辺も悲惨である。
過労死の割合は、統計データを見たわけではないが、システム産業のほうが多いように思う。
残業時間は、私の経験では、両方とも変わりなかった。
250時間を超えていた月もざらにあったことは、両産業とも同じであった。

では、なにが世間の評価の基準なのであろうか。
おそらく、そのひとつが服装ではないか。
私の若いころでも、システム産業ではジーンズで仕事が出来た。
建設現場では、そうはいかない。
絶対に女の子にはモテっこない、ダサい作業着を与えられ、しかもダボダボ。
「ちょっと大きすぎる・・」と言ったとたん、現場所長に怒鳴られた。
そう、文句を言わさない職場の雰囲気も、若い人が敬遠する所以かもしれない。

今では少なくなったと思うが、若い頃は、現場でイジメられた。
上司や先輩から、職人から、顧客や設計事務所の先生から、そして近隣から。
イジメは耐えればいいが、無理難題には苦労した。
もっとも、その経験が今の自分を作ったと思えば、感謝すべき環境だが、当時は、そうは思えなかった。
毎日、「明日は辞めたる」と思っていたものである。

「建設論評」の最後に、ずばり事の本質が書いてあった。
「理由は建設市場が買い手市場だったから・・」
その通りである。
そして、論説は、業界は発注者や世間に対して声を上げよという激で結んでいる。
これも、その通りであるが、難しいであろうと思っている。
なんといっても、発注者や顧客にモノ申すことは怖いから。

私は、独立した後、自分に出来ることを考え、少しずつ実践に移してきた。
システム技術を使った作業効率の向上、現場指導や経営コンサルによる企業力の向上、複数の建設企業による共同受注・共同施工の仕組みの運営などなど・・
そして、ようやく、本丸に手が届くところまで来た。
それが何かは、そう遠くない“いつか”書きたいと思っている。