自由経済と過剰品質(2)

2017.03.17


前回、ブラック企業が生まれる背景には、「過剰品質」を求める「ブラック客」の存在があると書きました。
しかも、自分が「ブラック客」との意識がない“無自覚な”ブラック客がブラック企業を「ブラック」として攻撃するという“笑えない”現実の話をしました。
多くの商品がコモディティ化(一般化)したことで、商品販売の最前線では、付加価値勝負になってきています。
つまり、「サービス」という付加価値競争で勝つことが日本式の「がんばろう」につながって、ブラック環境を醸成しているというわけです。
今回は、その一方で、個人の働く自由に制限はかけられないことで生まれる「盲点」のことを話題にします。
日本でも、労働法によって、企業で働く従業員の労働時間を抑制しています。
近年、多くの企業は、労働法違反になることを恐れ、就業規則の改定や運用の厳格化を進めているようです。
私がサラリーマンだった時代は26年前に遡らなければならないので、参考にならないと思いますが、自分がサラリーマンだったらと考えてみました。
かなり確実に言えることは、「労働法など知ったことではない」という意識で働くだろうということです。
昔から、自分の働く時間は「誰にも制限されない」ことを良しとしてきました。
「もっと働け」と言われることも「働くな」と言われることも拒否したと思うのです。
読者のみなさんにも、同じような意識を持たれている方がいらっしゃると思います。
でも、私は、この意識を「良し」としているわけではないことはご理解ください。
と言いながら、実は、個人の深い意識の下では「良し」としています。
また、マスコミやコメンテーターのように、社会正義を振りかざす意見には、”うんざり”しています。
そうではなく、経営者としての冷徹な意識では、「社員に最高の成果を出させるためには・・」
と考えるわけです。
自殺や病気になることは論外ですが、疲れでパフォーマンスが落ちたり、モチベーションが下がったりしていないかに気を配り、個人単位に扱いを考えることを大事にしています。
でも、中小企業の経営者の多くは、経営者と従業員の両方の立場で働いています。
そのため、どうしても2人分以上の労働時間になっている経営者が多いのです。
経営者の自分が、従業員としての自分に気を配ることもせずに、必死に結果を要求し続けるという図式です。
世の中で一番なブラックな経営者は自分で、その被害を一番受ける従業員も自分という皮肉な経営者は多いのではないでしょうか。
最後は自嘲気味の”ぼやき”でしたが、日本のサービスの特徴である「おもてなし」について、次回述べてみます。