これからの近未来経済(7):日本は韓国よりも貧しくなった?

2021.06.16


オンライン文春が「日本は韓国よりも貧しくなった」という衝撃的なタイトルの記事を掲載しました。
本メルマガの読者の方で読まれた方もいらっしゃると思います。
たしかに、掲載された OECD(経済協力開発機構)の2019年の平均年収の調査結果では、日本は3万8617ドル(約420万円)で、米国の6万5836ドル(約718万円)はもちろん、韓国の4万2285ドル(約460万円)より下になっています。
 
財閥に支配され、大きな貧富の格差がある韓国より低いという結果は、単純には受け入れがたい思いがします。
統計数字のマジックともいえますが、この数字は、為替や物価の影響も考慮した「購買力平価」なので、ひとつの事実として受け入れざるを得ません。
 
ならば「なぜ、日本は貧しくなってしまったのか」という疑問が残りますが、ある識者はその答えを「日本人が自他共にみとめる『世界一の勤勉さ』にある」としています。
たしかに残業や休日出勤もいとわず、決められた仕事を忠実にこなしてきた“これまでの”日本人の勤勉さが高度成長の原動力でした。
しかし、最大の長所は「最大の短所」ともいえます。
高度成長の成功体験が、それまでのルールや規則を根本から見直すことへの抵抗となり、新時代のIT化への大きな障害となっています。
言葉だけはAIとかDXなどが意味をよく理解しないまま飛び交っていますが、一種のブームで実態が伴っていません。
電子ハンコの採用をIT化などと言っているレベルでは、お先真っ暗です。
 
最近も、みずほ銀行のATMトラブルで大騒ぎになりました。
しかし、この程度で大騒ぎする国に、真のIT時代への道は遠いです。
日本は1980年代まではITの最先端国でしたが、今や先進国の最後尾に付いていくのがやっとの状態です。
その原因は「失敗を許さない」社会にあります。
福島原発事故は、その象徴のようなものです。
断っておきますが、あの原発事故を擁護したいわけではありません。
小さな失敗すら許さず「原発反対」を叫び続けたことがあの事故につながったと言いたいのです。
「なにがなんでも反対」を叫ぶ人たちと、その声を政治的利権や金銭的利権につなげる人たちの思惑とが“いびつ”な形で合体して虚構の「安全神話」が作り上げられました。
その「安全神話」が出来た時点で、あの事故の伏線が引かれてしまったのです。
 
コロナワクチンの開発遅れもまったく同じ構図です。
極端なことを言えば、日本国民の「自業自得」なのです。
変わることを嫌がり、変わらないことで当面のリスクを回避する「現状維持」を選んできた結果なのです。
 
先の識者がもうひとつ「日本が貧しくなった」原因に上げているのが「中小零細企業が圧倒的に多い日本の産業構造」です。
私は、この意見には賛同しかねる部分がありますが、それは次号で。