若い人の変化(その1)

2024.03.18


全共闘世代とも言われる団塊の世代ですが、当時、全共闘運動していた若者はほんの一握りでした。
マスコミは、あたかも日本中が革命前夜だったようなことを言いますが、当時の大多数の若者は政治に無関心で、遊びや音楽、スポーツに熱中していました。
たしかに1969~70年のピーク時には、全国の大学の8割がロックアウトという名の大学閉鎖に追い込まれました。
全共闘の連中は「これで革命が起きる」と息巻いていましたが、99%の学生はそんなこと考えもせず、「これ幸い」と、遊びにアルバイトに勤しんでいました(私もですが・・)。
焦った過激派は、爆弾テロやハイジャック、内ゲバ殺人と、今日まで伝わる事件を起こしていきました。
そのピークが映画にもなった「あさま山荘事件」です。
あの事件のさなか、スキー部の合宿からの帰りで、部員3人を乗せて山荘近くの国道18号線を走っていた私は、検問で止められました。
乗っていたのが若い男4人だったので、下車を命じられ、トランクはもちろん、積んでいたスキー板の間や座席の下まで調べられ、連絡先まで書かされました。
過激派の応援と勘ぐられたのでしょうね。
 
もう遠い昔となった思い出話ですが、当然ながら、現代の若い人には「おとぎ話」にもならない話でしょうね。
そうした過激派の一人で、長い間、潜伏していた桐島聡容疑者の身柄確保と死亡には、驚きよりも、いきなり遠い昔に引き戻された思いがしました。
この桐島聡のことで、過激派の彼らと自分たち大多数との違いは何だったんだろうと考えました。
答えは単純でした。
彼らは「純粋」で、我々は「不純」だったのです。
世間一般は、「純粋」であることを称賛しますが、実はとても危険なのです。
世の親に言いたいです。
「貴方のお子さんを純粋な“いい子”に育ててはいけません。度を過ごしてはいけませんが、多少不純で“悪い子”のほうが良いのです」と。
 
「では、どのくらいの悪いことが許容範囲なのか?」と問われそうですね。
極端なことを言えば「殺人以外」ですが、さすがに、それでは危ないですね。
まあ、「遅刻や物忘れなんかは、少し睨んで「メッ」ぐらいで良いでしょう。
カンニングは自分が損するだけなので片目で叱って「次は『もっと、うまくやれ』」が良いでしょう。
喧嘩は両成敗ですが、イジメはアウトですね。
「勤労奉仕1ヶ月」ぐらいは必要かもしれません。
それでも止めなかったら、次は2ヶ月ですね。そこで大半は音を上げるでしょう。
 
ところで、「若い人」と一言で書きましたが、若い男性と若い女性では、ずいぶん意識が違うなと感じています。
次回は、そのことを述べましょう。