戦争と平和(その8):中国の戦略を読み解く
2015.08.14
「習近平国家主席は、戦争をしたがっているのか」という根本的な問を考えた場合、私は「NO」と断言する。
しかし、「戦争はしない」とも思っていない。
「戦争をする/しない」を秤に掛けて、「今は戦争できない」と冷静に考えているようである。
この「今は・・」が永遠に続くのか一過性なのかの判断は難しいが、「当面は戦争できない」と思っていることは確実であろう。
中国が戦争を仕掛ける可能性があるのは、尖閣の奪取と台湾侵攻である。
南シナ海のほうが危険なように思えるが、周辺国との圧倒的な力の差を考えれば、軍事力を見せつけながら、埋め立てなどの別の実力行使で、南シナ海の内海化を狙っていく戦略であろう。
しかし、中国の上記の戦略は、尖閣と台湾には効果がない。
ASEAN諸国に比べ、日本および台湾は、はるかに軍事大国だからである。
中国が軍事力を見せつけるだけで押し切れる相手ではないのである。
その上、後ろに米国が控えている。
日本および台湾への軍事行動は、米軍との交戦を招く公算が非常に大きい。
中国がその危険を犯すことはないと断言できる。
そのかわり、硬軟様々な手で、日本や台湾と米国の間に亀裂を作ろうと画策してきた。
しかし、台湾においては、親中派の馬政権が次の選挙での敗北が確実視されているように、中国の戦略は失敗し、戦略の再構築が必要になってきている。
また、日本が集団的自衛権の行使容認に方針転換したことは、中国にとっては痛手である。
尖閣の奪取は、当面は棚上げにされたようである。
それどころか、日本で安保法案の成立が確実になってきた事実は、中国にとっては相当に重たいといえる。
つまり、南シナ海においても、日米両国を相手にするという事態が現実味を帯びてきたからである。
中国の海洋戦略に大きな狂いが生じたのである。
ここで、習近平主席が掲げる「中国の夢」という概念を考えてみた。
かつて中国は、秦の始皇帝から始まって、漢、晋、隋、唐、宋と栄華が続き、世界に冠たる漢民族の大帝国となった。
しかし、その後、遼、夏、金、元と、北方民族に支配され、漢民族の苦渋の時代が続いた。
ようやく、1368年に朱元璋が明を立国、再び漢民族が覇権を取った。
明の時代は長く続いた(日本では、鎌倉時代から徳川幕府初期までの間)。
しかし、再び、北方民族の後金、清の支配となり、20世紀前半まで続く。
その後に、中華民国そして中華人民共和国となったのであるが、習近平総書記の「中国の夢」とは、どの時代の再現を考えているのであろうか。
私の一方的な意見を言わせてもらえば、7~10世紀にかけての唐の時代、あるいは14~16世紀の明の時代を想定しているのではないかと思う。
その時代の中国は世界のGDPの3割を占め、西洋を大きく凌駕する国家であった。
その時代の中国に戻りたいということなのだと思う。
そして、アヘン戦争、日清戦争の敗北から始まった19~20世紀の屈辱を晴らし、失った権益を取り返し、米国を凌駕する国家とならんという夢なのであろう。
次回は、習近平主席が描く「中国の夢」の実現の具体策について述べたいと思う。