中国の思考法を学び、対処する(3)
2020.10.01
今回のコロナ禍を契機に、ITによる監視社会化が世界的な動きとして進んでいます。
しかし、その動きや国民の受け入れ方は、各国の政治体制や民族感情、歴史的経緯、地政学的な位置などの事情が複雑に絡み合い、一律とはいえません。
今回は、海外と比較しながら、日本におけるITと監視社会について論評します。
コロナ禍の中で、ITを通じて国民の行動を強制的に吸い上げ監視する中国が一定の成果を上げたことは否定できません。
一方、一人ひとりの自由を束縛されることを嫌う米国では、コロナ拡大が容易に収まる気配がありません。
中国の歴史を俯瞰すれば分かりますが、この国は典型的な皇帝政治の国です。
近代に入り、孫文の辛亥革命において民主主義が提唱されましたが、ごく短命に終りました。
現代の習近平政権は、皇帝政治へ先祖返りした力で感染を強引に抑え込みました。
韓国や台湾は、内戦や戒厳令を経験した影響から、社会が一定の緊張状態を容認する傾向が強く、それが感染症対策に効果があったといわれています。
それに対し、英国から自由を求めて独立した米国は、自由こそ最も大事な概念との思想が社会に染み込んでおり、個人情報を国家に把握されることや個人行動を規制されることに激しい抵抗があります。
それが、行政機構による一律の感染対策を困難にさせ、大量の感染者を出してしまった要因です。
IT先進国である米国には、遥かに進んだ情報統制システムがあります。
しかし、中国のように国家がそれを駆使して国民情報を統制することは国民が許容しないというジレンマの中で苦戦を強いられているのです。
さて日本ですが、国民の意見はまとまっているとは言い難い状態です。
IT関係を中心に工学系の人たちの間では、新しいテクノロジーの「社会実装」を無条件で受け入れている中国社会を羨む傾向が生まれてきています。
さらに、テクノロジー面で中国に遅れを取っているという焦りも生まれ、「早急にIT化を進展させるべき」との意見が大きくなり、一気に監視社会化が進んでしまう可能性も出てきています。
その一方で、政府に批判的なマスコミや知識人、左翼とかリベラルと呼ばれている勢力の人たちの間では、戦前の「治安維持法」などを持ち出し、「国家による情報統制」を警戒する批判を展開しています。
そうした危険も考える必要はありますが、今回のコロナ禍で露呈したのは、日本の行政システムの前近代的な非効率さです。
コロナ対策の「一律10万円」の配布や企業に対する補助金の支給にしても、とにかく時間がかかっています。
この非効率さを見れば、国が国民の情報を把握していないことが分かります。
日本では、個人や世帯の情報を地方自治体が分散する形で管理しています。
そのため、「10万円支給」のような個人対象の一律支給においては、「国→自治体→世帯→個人」というステップを踏む必要があるのです。
「マイナンバー制度が行き渡れば・・」という声もありますが、情報管理が自治体任せになっている現状を変えない限り、たいした改善にはならないでしょう。
しかし、個人情報を国家が直接管理する監視社会化を国民が良しとするかどうかの問題があります。
私は、工学系出身で、50年以上システムに関わってきましたが、自分の情報をすべて国家に握られる社会には抵抗があります。
中国のような監視社会になることには、明確に「No」と言いたいです。
それにしても、テクノロジーの発達と個人のプライバシーは、永遠に対立する宿命なのでしょうか。