台湾の歴史(その2)
2026.04.17
前回述べた鄭成功は、日本では「国姓爺合戦(こくせんやかっせん)」という人形浄瑠璃や芝居の演題として知られているだけですが、彼は中国人と日本人のハーフです。
しかし台湾では、中華民国の国父である“孫文”、初代中華民国総統である“?介石”と並んで「三人の国神」の一人として尊敬されている人物です。
また、興味深いのは、鄭成功は大陸中国でも英雄と見なされていて、福建省には鄭成功の巨大像が台湾の方を向いて立っていることです。
こうした歴史上の事実から見えるのは、台湾(中華民国)、共産中国、そして日本の3ヶ国の関係の複雑さです。
戦前の台湾は、誰もが知るように、日本の統治下にありました。
日本が軍事侵攻したわけではなく、清国(当時の中国)との間の日清戦争の結果、国際連盟の議決により国際法上合法で1895年に日本の統治に組み入れられました。
ここまでは誰もが知っていることで、関係各国も否定していない事実です。
現在の事態を難しくさせているのは、1945年の日本の敗戦後の経緯にあります。
日本は、1952年のサンフランシスコ平和条約および日華平和条約(この段階での中国は国民党政権)において、台湾の領有権を正式に放棄しました。
しかし、両条約のどこにも『台湾の中華民国への返還(割譲)』は明記されていません。
つまり、日本が領有を放棄した台湾および周辺の諸島は、宙ぶらりんの状態のままなのです。
そのため、現在での国際法上の正しい解釈は以下のようになります。
『台湾は中華民国(つまり台湾政権)によって実効支配されているが、最終的な帰属は未定状態のままである』
これが“台湾地位未定論”と言われているもので、「台湾は従来の中国とは別の独自国家だ」とする台湾独立論の根拠になっているわけです。
日本の敗戦直後、大陸中国の支配権は蒋介石率いる国民党にありました。
そこへ毛沢東率いる中国共産党が軍事行動を起こし国共内戦となり、結果として国民党は破れ、台湾に逃れ、現在のあいまいな状況になりました。
中国共産党軍が国民党軍を破った背景には、旧満州に残った関東軍の航空機や軍需物資の存在が大きく、また、大陸に残った日本軍の将校のかなりの数が共産党軍に加わっていました。
専門の軍事教育を受けたうえ、実戦で多くの経験を積んだ彼ら旧日本軍将校の貢献度は大きく、後に毛沢東が「日本に感謝する」と言った言葉が、そのことを物語っています。
大陸を制覇した共産党の中国は、台湾に逃れた国民党軍を攻撃する台湾上陸作戦の準備に入っていましたが、そこに朝鮮戦争が勃発し、それどころではなくなりました。
その戦争で、中国軍は50万人と推定される戦死者を出したことで、台湾進攻どころではなくなったわけです。
その後の大陸中国は、共産党の経済政策の失敗や人権抑圧問題などで台湾進攻どころではなくなったわけですが、そこに助け舟を出したのが日本でした。
もちろん軍事的な支援ではなく経済支援ですが、ODAによる経済支援だけでなく大切な技術やノウハウの多くを官民一体となって中国に供与しました。
若かった当時の私も、中国の現場で中国の技術者や作業員に懇切丁寧に教えたことがありました。
しかし、その結果が現在の残念な状況になっているとしたら、本当に残念でなりません。
言えることは独裁国家への支援は平和の害になるということで、イソップ童話の「太陽と北風」の話は“おとぎ話”なのかなと思うだけです。
次回からは、台湾をめぐる現在の状況、および近未来の予測を述べたいと思います。

