企業における社長の力(11)最終回

2020.06.16


以前に何度も述べましたが、私は、長年、故武岡先生に師事して孫子の兵法を学んできました。
先生は、古典として孫子を教えるのではなく、企業経営の戦略に置き換えながら教えてくれました。
先生は、何冊も本を出されていますが、教わる中でいただいた資料は、出版本以上の価値のあるものです。
私は、これらの資料を独自に編集したものを自分のバイブルとしています(もちろん、非出版物です)。
 
内容は、孫子にとどまらず、マキャベリや韓非子、三十六計と幅広いものですが、すべて、先生から教えを受けた内容です。
社長としては三流の自分が、何度か倒産の危機をくぐり抜けて創業30年にたどり着けたのは、こうした教えがあったからだと確信しています。
 
しかし、自社にとっての真の課題は、この先の30年、60年、100年にあります。
当然、私はこの世から消えますが、自分がいなくなった後まで責任を取るのが創業者だと教わりました。
そこで、社会に出たときからの自分を思い返してみました。
 
自分で言うのは、おこがましいのですが、私は常に30年先を見てきたように思います。
1975年にパソコンが生まれる前に、今のIT社会のことが見えていました。
実験段階のインターネットに触れたり、CGの生みの親ともいうべき人物との交流などの経験がそうさせたのだと思います。
しかし、常に早過ぎました。
最初に勤務した会社は、日本でも3本の指に入る大手コンピュータメーカーでした。
そこのSEだった私は、米国でもまだ卵状態であった先進のIT世界に入ることが出来、最先端の軍事システムの開発にも携わることが出来ました。
しかし、私の上司ですら「夢でも見たか」と私の見たことを信じようとはしませんでした。
でも、あれから30年経った今、あの時に見て考えたことが、どんどん現実になってきています
 
建設会社に転職してからも、原発や高エネルギー研究施設、P4など、なぜか特殊な案件ばかりを担当してきました。
こうした経験は、自分の大きな武器になりましたが、それは、あくまでも技術者としての武器です。
企業トップとしてはマイナス面のほうが大きかったと思います。
 
まず、社員が付いてこられないのです。
当然なのですが、当時は、その当たり前のことを理解できませんでした。
友人から言われたことがあります。
「お前の最大の欠点は、自分を普通だと思っていることだ。お前は普通じゃない」とです。
創業時のメンバーすら、10年もたたずにみな辞めていきました。
当時の私は、「どうしてなんだ」と思うだけでしたが、今にして思えば無理はなかったのです。
 
しかし、30年早い自分を変えることは不可能です。
そして、気が付きました。
自分が考える30年先の世界を若い社員たちに伝え、彼らに実現してもらうのです。
50年、100年と生き残ってきた企業は、そうした創業者の意識が伝承されてきたのではないかと思うのです。
「自分の代で実現を」と考えているうちは、半人前の経営者なんだという思いにようやく至った感がしています。
今は他界された経営者の方に言われたことがあります。
「死ぬ間際に自分の生きた意味を感じられたら、それだけで最高の人生だったと思えるのではないか」
この言葉で、本シリーズも終りといたします。