☆経済と政治(1):安全保障

2016.04.01

「戦争と平和」の続きのシリーズとして、今回から「経済と政治」をお送りします。
多くの戦争は、経済と政治の整合の乱れから起こります。
そのことを考えて、解説を進めたいと思います。
今年は参院選挙があります。
野党5党が、選挙協力の統一目標として、昨年成立した安保法案を廃案にすることを掲げようと協議しています。
野党、特に民主党(まもなく民進党?)の政治感覚を疑う目標です。
昨年の安保法案をめぐる安全保障に関する国会論戦は的外れで、呆れるばかりでした。
だから、「安全保障を国会で再度議論しよう」というのであれば分かりますが、
安保法案の廃案を目標にするというのでは、無責任に過ぎます。
衆院で2/3を抑えられている現状では、廃案など出来るはずはありません。
実現できない目標を掲げることで野党共闘が成ると考えているのであれば、政治をバカにしています。
もっと真剣に政治を考えて欲しいものだと思います。
日本が戦争に巻き込まれる危険は、安保法案の有無に関わらず、常にあります。
相手国が日本に戦争を仕掛ける時、「安保法案があるかないか」など気にかけもしないでしょう。
また、米国の戦争に「参加しろ」と言われても、日本は「NO」と言えるのです。
もちろん、その反対もあるわけで、日本が攻められても米国は知らん顔ということもあるのです。
“そもそも論”で恐縮ですが、
安全保障とは、「最善の事態」を想定するものではなく、「最悪の事態」を想定して準備するべきものです。
攻撃型の軍事力を持つ隣国、また遠方であっても、強大な軍事力を有し、自国に敵意を持つ国がある以上、
「最善」ではなく「最悪の事態」を想定しておくことは国家の責務なのです。
そのためには、物理的な防衛力だけでなく、防衛の仕組みや方法を規定する法律が必要になります。
これは、テロや物理的な防衛力の暴発を防ぐ意味からも重要なことです。
自国の軍事クーデターで政府が倒された例など山のようにありますから。
また、友好的な国家と軍事同盟を結んで、敵対国の攻撃の意図を挫くという安全保障策(これが“集団的自衛権”です)も考えておくべきことです。
しかし、日米安保条約に頼り切ることは危険です。
まず、自国単独での防衛を考え、その補完として集団的自衛策を考える必要があります。
国会では上記の論戦を期待しているのですが、低次元のやり取りが多くて失望しています。
野党各党には、こうした論戦ができる国会を創ることを目標に掲げて欲しいものだと思っています。