新車陸送の世界(1)
2025.05.01
「新車陸送」と聞いて「知ってるよ」と仰る方は少ないでしょう。
でも5~6台のナンバープレートが付いていない新車を載せて走っている大きなトレーラーを見かけたことはありませんか。
あの方法で新車を運ぶのが“正規”の新車陸送です。
運んでいるトレーラーは特殊車両ですから、普通免許ではもちろん運転できません。
そうしたトレーラー輸送方式とは別に、1台ずつ人間が運転して工場から運ぶ形式の「新車陸送」があり、区別して「単騎(陸送)」と呼ばれていました。
今ではほとんど姿を消した形態ですが、日本の自動車生産が爆発的に増えた高度成長期に生まれた方法のようです。
その時代、大量生産された新車の多くは米国を筆頭に豪州や東南アジアへ輸出されていました。
輸出するには、生産した新車を各工場から港へ運ぶ輸送が必要ですが、膨大に増え続ける輸送量にトレーラー輸送が追い付かなくなりました。
そこで大量の人員を雇い、一台ずつ運転して港まで運ぶ「単騎」輸送が始まったのです。
当時、大学に入ったばかりの私はおカネに飢えていて、新聞の求職欄で高額なバイトを探していました。
そこで見つけた小さな求職欄に「陸送員募集」とあり、通常のバイトの数倍の報酬額が記載されていました。
訪れた小さな社屋で、免許証を見せ社長の面接を受けました。
しかし、4輪免許を取って1年未満だった私は「1年未満はダメだな」と言われました。
それで、もう1枚のライセンスカードを見せました。
それは、レースの「B級ライセンス証」です。
それを見た社長は「レースをやってるのか?」と聞きました。
私は「はい、でもレーシングチームのメカニックを手伝い、合間にレーサーから指導を受けながら、時々走っている程度です」と正直に答えました。
社長は少し考えた後、「じゃあ、メカには強いな」と言い、「よし採用だ」と、その日の夕方7時に会社に来るように指示しました。
水商売を始める前の頃だったので、私は二つ返事で陸送のバイトを始めることになりました。
指定された時間に会社に行くと、十数人の男が集まっていました。
多くは30代や20代後半のようでしたが、学生らしい若者も数人いました。
社長は私を「今晩から仲間になった“あんなか”くんだ。仲良くしてやってくれ」と紹介しました。
そして、30代の一癖ありそうな男を「彼がリーダーの〇〇だ。なんでも彼の指示に従うように」と紹介しました。
私は、その男の前に行き「よろしくお願いします」と頭を下げ挨拶したところ、彼は「お~」とだけぶっきらぼうに返事を返しました。
その後、全員で1台のマイクロバスに乗り、神奈川方面に向かって走り出しました。
横に座ったリーダーは、私に「オレたちは、日産の子会社の下請けのまた下請けの会社だ。いや、そのまた下だっけ」と言い、別の男に「そうだっけ?」と聞きました。
聞かれた男は「そんなのどうだっていいよ。オレたちは何台運んだかだけ覚えていればいいのさ」とぶっきらぼうに答えました。
リーダーは「そうだな」と頷き、私に向かって説明を続けました。
「目的地は横浜の本牧ふ頭だ。出発地は日産の工場だが、いろいろだ。きょうは座間だが、明日は藤沢か本牧だな。東村山とかもあるが、出発地によって1台当たりの運送代は違う。だが、運送代は全員が平等だ。オレが運んでも新人のお前が運んでもな」
そこで、たばこの煙を私に吹きかけながらニヤッと笑い、「誰の稼ぎも運んだ台数だけで決まる。な、平等だろう」と言いました。
その声で、後ろの席から一人の男が乗り出してきて、「この全員で一緒に走るんだ。何があってもな」と、私の肩を叩いた。
私は、今まで体験したことのない異世界に飛び込んだことをひしひしと感じましたが、貧しい家計を思うと、『学費はこれで稼ぐんだ』という決意を固めていました。
こうして、とんでもない経験の幕が開けたのでした。