新車陸送の世界(6)
2025.10.01
さて、前回までの話を読んだ読者の皆様は疑問を持たれたのではありませんか。
「一般国道を150km/hで走る」とか「赤信号を無視して交差点を突っ切る」とかは、とんでもない違反行為です。
それが今も昔も変わらないことは当然です。
ゆえに「こいつは、どこかで必ず警察に捕まったはずだ」と思われたことでしょう。
当時の私自身も「いつか捕まる」と思っていましたし、「その場合は、免許停止だけじゃ済まないかも」と覚悟していました。
しかし、それでも「チームで走る」という“重し”はとても重いのです。
工場を出て埠頭へ向かうときは各車バラバラになります。
そして、最後の車が埠頭に到着するのを待って全員がマイクロバスで工場に戻ります。
こうしたサイクルが一晩に数回繰り返されます。
違反せずに普通に走った場合、とうぜん埠頭への到着はかなり遅れます。
その間、マイクロバスは発車できず、工場への戻りが遅くなります。
その結果、チーム全員の運ぶ台数は減り、全員の収入が減ることになります。
ゆえに、私だけ法規を守って安全運転とはいかなかったのです。
これは会社命令ではありませんし、もちろん入社時にそんな説明はありません。
また、リーダーや先輩たちの誰も「法規は無視しろ」なんて一言も言いません。
完全なる「暗黙の了解」なのです。
結局、私は「捕まったら、そん時はそん時だ」と開き直り、信号を無視し、アクセルを目いっぱい踏み続けました。
各工場から本牧ふ頭までは、それなりの距離があります。
工場の広い駐車場から自分が運ぶ車を見つけ、簡単な自主点検を終えて工場から出るタイミングは、みなバラバラです。
また、いくら信号を無視するといっても、信号を守って走っている一般車にぶつけるわけにはいきませんし、対向車があるときに反対車線から一般車を追い抜くことはできません。
渋滞に巻き込まれたときなどは、さすがに大人しく運転するしかありません。
そうしたことで、いつしかチームの他の車と離れ、単独で走ることが常でした。
それでも、十数台のチームの車は2~3分遅れぐらいで次々に埠頭に到着してきます。
こう言うのもおかしいですが、神業のような走りをするチームだったなと思い出します。
このバイトを始めて2か月ぐらいが経った頃でした。
私の運ぶ車に不具合があり、それを修理してから出発したため、他の車にかなり遅れました。
その遅れを取り戻そうと、いつも以上の無茶な走りでチームを追いかけました。
目の前に広い交差点が見え、信号が赤に変わりました。
私は赤信号を無視し、青信号で動き出した車の間を縫って突っ切りました。
その中にパトカーを発見しましたが、私はかまわず、パトカーの鼻先をかすめて突っ走りました。
さすがにパトカーはサイレンを鳴らしながら全速で追いかけてきました。
マイクでしつこく(?)「止まれ、止まれ」と言うのと、前方で車がつかえているのが見えたので、私は車を左端に寄せ止まりました。
降りてきた警官は、顔を真っ赤にしながら、私に罵声を浴びせてきました。
「お前は人間のクズだ」とか「いつか死ぬぞ」とか、ありとあらゆる罵詈雑言を、つばを飛ばしながら怒鳴り続けました。
警官の罵声を聞きながら、私は「変だな?」と思い始めました。
警官はつばを吐き怒鳴り散らしながらも、一向に違反切符を切る様子を見せないのです。
「はて?」と思っていると、後ろに1台の車が止まりました。
それはチームリーダーの車でした。
リーダーは、怒りで真っ赤な顔の警官に向かって、こう言いました。
「すみませんね、お手を煩わせて。後でよく言っておきますから」
そして、私に向かって「おー、いくぞ、“安全運転でな”」とわざとらしく言いました。
パトカーの警官は、苦虫をかみつぶしたような怖い顔で、小さく「行けっ」と私に言いました。
この瞬間、私は理解したのです。
警察は、我々を絶対に捕まえない、いや「捕まえることが出来ない」ということをです。
法治国家の日本で、こんな治外法権が存在していることを知ってしまったのです。
我々には道路交通法が効かないのです。
ただし、会社はもちろん、リーダーも先輩たちの誰も、絶対に口にはしないのです。
すべては暗黙の了解なのです。
もちろん、その裏では相当のおカネが動いていたことでしょう。
しかし、すべては闇の中で、私が知る由もありません。
そんなことより「道交法が我々には効かない」という治外法権が暗黙に与えられていることに軽い興奮をおぼえました。
そして、その瞬間、自分が無敵になったような気持ちになりました。
とんでもないことですが、なにしろ当時は19歳の未熟な若者です。
しかも、学費を稼ぐため仕事で車を運んでいるわけで、遊んでいるわけではない。
こうした「偏った」というより「半ば狂った」考えに支配されたのです。
しかし、「行けっ」と言った後で聞こえた「警官の舌打ち」は、今でも鮮明に耳に残っています。
この話、半世紀以上が経った今は時効と言えるので書ける話です。
こうした狂った世界が、高度成長期の日本の1ページであり、今日の繁栄の基礎を作ったわけです。
このシリーズの話、もう少し続けます。