新車陸送の世界(7)

2025.11.04


この十数名からなる新車陸送チームが所属していたのは、最末端の零細企業です。
頂点に君臨する自動車メーカーと直系の輸送会社は有名企業なので、もちろん知っていましたが、そこから、この零細企業に至るまで、いったい何社が絡んでいるかは、全く不明でした。
たぶん、建設産業以上の多重下請け構造だったと想像しています。
先輩は、以下のように話していました。
「メーカーから輸送会社への支払いが1台2000円とすると、俺たちが受け取るのは500円だな」
実際は、運ぶ車の種類や出発する工場によって単価はいろいろでしたが、いずれにしても、実に75%が途中でピンハネされるというわけです。
私は「へ~」と思うだけでした。
 
我々が所属する会社にいるのは、社長と事務員2~3名だけです。
輸送ドライバーの中で、学生バイトは私ともう一人の2名だけでした。
あとは正規雇用の社員と非正規雇用の人たちでしたが、その割合は不明でした。
チームリーダーは正社員のようでしたが、確かめたことはありません。
それでも、チームには、まるで家族のような奇妙な連帯感がありました。
私が続けられたのは、その“おかげ”かもしれません。
 
夕方から明け方まで夜通し車を運び続けるわけですが、夜中の1時頃、ラーメン屋で夜食を食べるのがチームの日課でした。
一晩で何台運べるかの台数が稼ぎなので、チームの面々は黙々とラーメンをすすり、リーダーが「お-行くぞ」と声を掛けると、一斉に立ち上がり、自分が運ぶ車に戻り、再び爆走を始めるのです。
食べるのが遅い私は、最後のラーメンのつゆをすすりながら、慌てて代金を払うと、自分の車に駆けていく毎日(毎夜?)でした。
 
そんな日がしばらく続いた後、いつものラーメン屋に入ると、先客の女性が数人カウンターで食事をしていました。
そのうちの一人が、最初に店に入った先輩に声を掛けました。
「きょうは、いっぱい稼げたの?」
私は、その野太い声に驚き、彼女をしげしげと眺めてしまいました。
私の視線を感じた彼女は、私のほうを向き「あ~ら、新人さん? 若い方っていいわね。どう、お安くしとくわよ」と声を掛けてきました。
先輩は大声で笑い出し、「こいつには“かわいい”彼女がいるんだよ。おめえのような化け物が出る幕はねえんだよ」と言いました。
言われた彼女は、「もう、いけ好かない人」と言いながら先輩の肩を叩いて笑いました。
 
そこで、私はようやく気がつきました。
彼女(?)たちは、当時は“おかま“、現代だったら「ニューハーフ」とでも呼ぶ女装の男性だったのです。
そのような人を見たことはあっても、間近で、しかも直接話した経験のなかった私は、ただただびっくりして硬直していました。
先輩たちは面白がって、私に「“ねえさん”の料金はオレが払ってやるから、オマエ、1回休んで遊んでもいいぞ」と囃し立てます。
 
その“ねえさん”が流し目で私のほうに近づいてきたので、私はあわてて「ごめんなさい、遊べないんです」と後ずさり。
その様子に、“ねえさん”たちと先輩たちは大爆笑。
 
みんなに笑われながら、私はそれまで感じたことがなかった奇妙な感覚の中にいました。
狂ったような走りで長い間、車を運び続けている先輩たち、そして「化け物」なんて言われながら、水商売の底辺で懸命に働いている“ねえさん”たち。
私は、水商売の仕事と新車陸送で稼ぎながら大学に通っている身の辛さに気持ちが折れそうになっていましたが、この時の先輩たちと“おねえさん”たちとのやり取りの光景に、気持ちが救われる思いがしました。
『こんな底辺で頑張っているのは自分だけじゃないんだ』との思いです。
 
それ以来、ときどきラーメン屋で出会う“おねえさん”たちとの交流を、楽しいと思うようになってきました。自分の知らない世界は、どんな世界であっても興味深く、かつ学ぶことが多いものです。
“おねえさん”や先輩たちとの語らいの中に、共感を覚える、また“きらり”と光るものを感じていました。
今になって思い返すと、それが人間としての成長の一つだったのです。
もう会うこともない“おねえさん”や先輩たちには感謝でいっぱいです。