新車陸送の世界(8)

2025.12.02


学費稼ぎのため飛び込んだ新車陸送の世界は、想像をはるかに超える異様な世界でしたが、半年も経つと“いっぱし”のベテランのような走りをしていました。
どんなに無茶な運転をしても事故さえ起こさなければ警察は無視するという“とんでもない”現実の前に理性は吹き飛び、稼ぎを少しでも多くという一点に集中して車を運び続けました。
 
一方、我々とは別に、法規違反を繰り返し、暴走を続けている存在がありました。
そうです。暴走族です。
当然のように、陸送ドライバーにとって暴走族は“忌み嫌う”存在でした。
新米だった私は「無視すりゃ良い」としか思っていませんでしたが、何度もトラブっている先輩たちはそうではありませんでした。
 
ある夜中、埠頭から工場へ戻る途中、我々の乗っていたマイクロバスが、信号で止まっていた暴走族の車の横で止まりました。
そのとき、開いている窓から先輩の一人が暴走族の車に何か言いました。
それに対し、暴走族の車は何かを言い返しました。
次の瞬間、何人もの先輩が、座席の下から鉄パイプを取り出し、マイクロバスの窓から一斉に暴走族の車を全力で叩き出しました。
あっという間に、暴走族の車は“ぼこぼこ”になり、慌てたその車は、赤信号を無視して走り去って行きました。
あっけに取られている私に、横にいた先輩が言いました。
「暴走族の連中は、俺たちの邪魔ばかりするからな。あのくらいで済むなら安いもんだ」
私は『それにしても、やり過ぎじゃ・・』と思いましたが、もちろん口にはしませんでした。
このような暴走族とのトラブルは結構起きていて、あるとき、社長がリーダーに「お前らの気持ちは分かるが、警察沙汰にはするなよ」と言っているのが耳に入りました。
私は、『とても先輩たちのようなことは出来ないな』と思い、トラブルが起きたときも大人しくしていました。
 
ところが、ある夜のことでした。
出発前に私の運ぶ車に不具合があり、工場を出るのが大幅に遅れました。
最後に出るリーダーが私の車の横に止まり、「出られそうか」と声を掛けました。
私は「大丈夫です。もし大きく遅れるようなら、次の回は私を飛ばしてください」と答えました。
つまり、マイクロバスは私の到着をまたずに工場にトンボ帰りし、私は次の回は「埠頭でみんなを待っています」という意味です。
リーダーは「そうか、埠頭の入り口でお前を待っているから、なるべく早く来い」と言って出発していきました。
 
故障を直した私は、単独で、夜中の国道を全速力で飛ばしました
すると、どこからか現れた1台の暴走族が私に絡んできました。
ときに進路を妨害するような運転で、何度か接触しそうになりました。
私は冷静でしたが、ある考えが頭に浮かんできました。
『この直線が終わる先で、この道は緩やかな登りになり、大きく右にカーブしていく。そのカーブの頂点にガソリンスタンドがある。“こいつ”をそのガソリンスタンドに突っ込ませてやる』
 
私は、カーブの頂点に差し掛かるときに、相手の車の右にぴったりと付け、カーブを右に曲がれないようにしました。
そのまま、ハンドルを切らずに相手の車を外側に押し付けたまま全速でカーブを登っていきました。
目の前に明かりを消したガソリンスタンドが見えてきましたが、私は暴走族の車にカーブを切らせず外側に押し付けたまま、ガソリンスタンドめがけて真っ直ぐに突っ走りました。
そのとき、私の心理に灯ったのは殺意でした。
『こっちは必死に働いているんだ。なのに、遊んでいる暴走族がオレの邪魔をする。こいつを殺してやる』という冷静かつ冷血な殺意でした。
 
あわや2台ともガソリンスタンドに突っ込む寸前に私は右にハンドルを切り、ぎりぎりで衝突を避けました。
私にカーブの外側に押し付けられた格好の暴走族の車は避けられずにガソリンスタンドに突っ込んでいきました。
もし給油スタンドに突っ込んでいたら、火だるまになったかもしれません。
しかし、暴走族の車は、給油スタンドをかすめて、その先のコンクリートの塀にぶつかりました。
 
正気に戻った私は、車を止め、様子を見に駆け戻りました。
塀に突っ込んだ車の中から一人の男がよろよろと出てくるのが遠目に見えました。
私は、内心ほっとして、その場を去りました。
その後のことは、今も分かりません。
 
私が、人に対して明確な殺意を抱いたのは、後にも先にもそのときだけです。
しかし、あのとき、殺意を抱き、冷静に実行手順を頭に描き実行した自分に恐怖を覚えました。
そして誓ったのです。
『今後、どんな人間に対しても決して殺意を持たないようにしよう』とです。
 
リーダーは、本当に埠頭の入り口で待っていてくれました。
マイクロバスは出てしまったので、次の回でみんなが埠頭に来るまで、リーダーと2人、暗闇の中で待ちました。
私は暴走族の車とのことは話しませんでした。
私が「遅れてすみません。リーダーにご迷惑をお掛けしました」と言うと、
リーダーは、「お前が無事で良かったよ。焦って事故になったんじゃ、シャレになんねえからな」と、真顔で言いました。
私はその言葉に胸を打たれました。
そして、暴走族のあいつが死ななくて良かったと心の中で思いました。
こうして、また一夜が過ぎていくのでした。