未熟な日本の計画技術(1)

2016.11.16

新国立競技場、豊洲市場、五輪施設と、東京都の目玉事業が軒並み問題になり、国民の非難の的になっている。
また、福島第一原発の事故や巨額の費用をつぎ込んだ高速増殖炉「もんじゅ」の絶望的状況など、
日本の原子力事業に対する国民の不信感は、政治的課題として国政を揺るがせている。
 
こうした巨大プロジェクトの失敗に対し、日刊建設通信新聞は、社説で「未熟な計画技術」として論評を加えている。
「責任なき意思決定の横行」、「事業の進行が的確に管理されていない」、「計画と現実とのズレを無視する」といったことがまかり通って失敗に至った根は「計画技術の未熟さにある」とし、その課題と是正にまで踏み込んだ解説である。
 
同紙が指摘する原因分析や主張する是正提言には全面的に賛同である。
ただ、その是正の道のりの遠さと困難さに”ため息”が出る思いである。
この問題に対し、私なりの解説を加えていきたいと思う。
 
こうした問題が起こる根本の要因は、どんなプロジェクトや工事にも起こる「計画と現実とのズレ」であることは誰もが分かっている。
しかし、その大半は、現場がなんとかそのズレを収める、あるいは修復することで、問題の表面化を防いできた(妨げてきた?)のである。
時折、現場では収められない事態となり表面化することはあっても、現場責任者の処分や幹部の陳謝などで逆風が過ぎるのを待つという日本的対処でことは収められてきた。
たとえ社会的に大きな問題となった場合でも、日本ではおなじみの「大会社の役員が記者会見でそろって頭を下げる」シーンで世間は沈静化してしまった。
 
私には、現場所長をしていた頃の苦い経験がある。
現場の若い監督達が、夜、酒に酔った勢いで、現場からライトバンを持ち出し、あげくに自損事故を起こした。
幸い、第三者への被害はなく、かれらの負傷だけで済み、警察も穏便に処理してくれた。
しかし、翌朝、本社の安全部に電話を入れた私は、自分の耳を疑った。
状況を報告した私への安全部からの最初の言葉は、「マスコミは抑えたか?」だった。
勘の良い読者の方は、この意味がお分かりだと思うが、当時の私は30代前半で経験も浅かった。
聞き返す私に苛立った相手は、「新聞やTVなどで報道されないよう手は打ったか」とどなってきた。
ようやく理解した私だったが、会社の一番の関心事が、社員の体や社会への迷惑ではなく、体面にあることを肌で知った瞬間であった。
 
本メルマガで何度か言及してきたように、私は原子力施設の建設にも携わったきたが、そこで体験し、見聞きしたことが、福島やもんじゅの失敗につながっていることを痛感している。
そして、その失敗の根が、日刊建設通信新聞が社説で指摘した「未熟な計画技術」にあることは、そのとおりである。
来月から数回に分けて、この問題を掘り下げていきたいと思う。
ご期待ください。