新車陸送の世界(9)

2026.01.06


昼間は大学に通い、夜は新車陸送という、昼夜逆転の夜間学生のような学生時代でした。
夜の新車陸送は常軌を逸した猛スピードで走っていましたが、チームで稼ぎを上げるための必然の行為でした(前に述べたように、法規違反は問われない暗黙の了解が背景にありましたが・・)。
それと、もう一つの理由があります。
疲れた体で普通に走っていると、夜中の眠気に負けてしまうのです。
故に、150km/hもの猛スピードで眠気を吹き飛ばすのです。
 
当然、事故を起こす確率は格段に上がり、死者すら発生します。
しかし、チームの誰も、そんなことは一切口にしませんし、会社は黙認です。
それどころか、警察すら暗黙の了解を与えているわけです。
でも「俺も、いつかは・・」という恐れは、全員が持っていたと思います。
もちろん、私もです。
 
1年ぐらい経験した頃、社長に呼ばれました。
『なんだろう、怒られるのかな?』と思いましたが、社長はこう言いました。
「この1年、事故も起こさず、よう頑張ってくれた。しばらく特別の輸送をしてもらうよ」
『はて?』と思いましたが、質問はせず、ただ「はい」とだけ返事しました。
私を入れて5人のドライバーは主任の運転するワゴン車に乗り込みました。
ワゴン車が到着したのは江ノ島に近い藤沢工場でした。
正門をくぐったワゴン車は、工場のラインから出されたばかりの新車が並ぶ駐車場の一角に止まり、我々は車を降りました。
 
私は、そこの光景に目を見張りました。
そこにずらりと並んでいた新車は、スポーツカーのフェアレディZでした。
しかも、国内仕様の“240Z”ではなく、北米向けにパワーアップした432Zでした。
もちろん、ハンドルは左で、日本国内では1台も走っていない車です。
 
我々を連れてきた主任は、こう言いました。
「君らは、新人時代から一度も事故を起こしていない優秀なドライバーだ。だから、これらの高級車の輸送を託された。ここから追浜まで距離はあるが、スピードはある程度抑えて運んで欲しい。
1台あたりの君らの輸送単価は通常の4倍だ。慎重に頼むよ」
 
私は、単価の4倍よりも、フェアレディ432Zを運転できることに「これは夢か」と思いました。
432Zは、国内仕様の240Zよりエンジン排気量は大きく、その分、車のノーズ(鼻先部分)が一段と長くなり、内装の仕様も豪華です。
乗り込んでエンジンを掛けると、今まで運んだ車とは次元の違うエンジン音と振動に全身が痺れるようでした。
主任は我々5人に「国道に出れば、この車は嫌でも目立つ、中には“ちょっかい”を掛けてくる車もあるだろう。だから、なるべくお前たちは離れ離れにならずに慎重に運転しろ」と言った後、付け加えるようにつぶやいた。
「とは言え、離れてしまった場合は仕方ない。それぞれ単独で本牧へ迎え。スピードを出せるところは出しても良いが、絶対に事故だけは起こすな。信じているぞ」
 
我々5台は、繋がって工場の外に出、やがて国道1号線を横浜に向かって走り出しました。
さすがに、派手な外観のスポーツカー、それも輸出仕様(左ハンドル)の432Zが5台繋がって走っているのです。注目を浴びないわけはありません。
まだ夜の8時頃、国道を走っている車だけでなく、歩道を歩いている人たちが何人も、こちらを指さして何かを話しています。
交差点の信号が赤になり我々は止まりました。
もちろん、信号無視などしません。
左ハンドル車ですから、左隣の一般車の助手席のすぐ横に並びます。
少々、お調子者の仲間の一人は、隣接した車の助手席に乗っていた若い女性に「こんばんは」と声を掛けました。
声を掛けられた女性はびっくりして、まじまじと彼と車を見ていました。
私の車の左横もカップルの車でしたが、私は声を掛けるなんて出来ません。
でも、その車の運転席の男性が隣の女性に話している声が聞こえました。
「その横の車、輸出用のフェアレディZで日本では走っていない車だよ。まじかで見られてラッキー」
女性が『へ~、スゴイ車なんだ』という表情で、こちら(と言っても、私ではなく車)をまじまじと見つめました。
当時20歳だった私は、妙に誇らしいような、逆にみじめなような複雑な気持ちでした。
 
国道1号線での運転は順調でしたが、やがて5台はバラバラになり、横浜市内に入る頃は単独で走っていました。
国道での運転は楽でしたが、横浜市内で、大きくカーブを切るようなところでは緊張を強いられました。
なにしろ、この車、ノーズ(前の部分)が異様に長く、運転席は車の真ん中付近になります。
ゆえに、90度カーブを曲がる場合、運転席からは、曲がる方向の様子が完全には見えないのです。
信号のない交差点では、交差点に入った段階では、曲がる方向の様子はまったく見えません。
ヘッドライトをアッパーにして、エンジンを“空ぶかし”して存在を知らせてから、恐る恐る交差点に入ります。
狭い道の曲がり角では、曲がる方向の壁に鼻先をこすりそうで、極度に緊張しました。
 
ようやく目的地の本牧ふ頭で5人が合流した時、お互いに「432Zを操縦できたのは良いけど、疲れたよな」と言い合い、「カネを4倍もらえるのはうれしいが、長くはゴメンだな」と異口同音に言うのでした。
 
次回は、また別の初体験の話をしましょう。