新しい日本型資本主義の中身(5)

2022.03.14

アベノミクスとはいったい何だったのでしょうか。
多くの方が論評していますので、ポイントだけを以下に述べます。
 
この政策は、「3本の矢」というキャッチフレーズに全てが集約されています。
第1の矢「大胆な金融政策」は日本銀行による量的緩和策のことで、第2の矢「機動的な財政政策」は大規模な公共事業や補助金政策のことです。
そして、第3の矢が「成長戦略」の要(かなめ)となる「日本経済の構造改革」です。
 
このアベノミクスの狙いは至極単純です。
まず、第1の矢「量的緩和策」で日銀が国債を購入して市場にマネーを大量供給します。
このマネー供給で市場にインフレ期待が生じると、実質金利(インフレ率を差し引いた金利)が低下します。
借り入れの金利負担が減れば、企業の設備投資が拡大し、経済が成長するという単純シナリオが柱です。
 
ただし、金利負担の減少だけで企業の投資意欲が単純に上がるわけはありません。
安倍政権もそのことは理解していました。
そこで第3の矢「構造改革」で成長戦略を仕上げるとしたのです。
 
しかし、構造改革が一定の成果を上げるまでにはかなりの時間が必要です。
それで、その間の時間稼ぎとして、第2の矢「機動的な財政出動」を間に挟んだのです。
 
整理すると、アベノミクスとは、金融政策でデフレから脱却させ、財政出動で当面の景気を維持しつつ、その間に痛みを伴う構造改革を実施し、経済を成長軌道に乗せるという戦略構想なのです。
最初の2本の矢「量的緩和策」や「財政出動」は一時的な対症療法であり、3本目の矢「構造改革」こそが日本経済再生の本丸という位置付けでした。
 
このロジック自体は明確で正当な戦略です。
しかし、そもそもアベノミクスは安倍氏が考えた政策ではなく、安倍氏は政治的に乗っかったに過ぎません。
ゆえに安倍氏は、当初は構造改革について熱く語っていましたが、一向に進展しない改革に業を煮やし、やがて一切、口にしなくなりました。
この理論が、安倍氏自らの産物ではなく借り物だったことを露呈したわけです。
 
そもそも、構造改革などの根本改革が1代のリーダーでできるわけはありません。
江戸時代の上杉鷹山の改革は有名ですが、上杉藩が借金を完済したのは、鷹山の死から60年後だったと言われています。
改革には「名君が3代続く必要がある」ということを歴史は教えています。
実際、江戸幕府は3代家光の時代に、ようやく内戦が終わり、平和な時代が来ました。
近年でも、消費税の導入までに3人の首相が交代しています。
安倍氏は、歴史の勉強が足らなかったようです。
 
結局、本丸の構造改革ができないまま、アベノミクスの成長戦略は各種の補助金やゾンビ企業の延命策などに姿を変えてしまいました。