商品開発のおもしろさ(11)

2021.05.17


前号で、いきなり「親切なバーテン」と「客が感じる別世界という商品」の話をしましたが、少し補足説明させてもらいます。
店のあった場所は、渋谷から横浜を結ぶ東横線の沿線でした。
駅から数分のビルの地下に、その店はありました。
 
私は、店に入る前に、近くのバーのバーテンに話を聞くことを日課にしていました。
普通に考えれば「忙しい」と断られるのがオチですが、しかし、どういう風の吹き回しか、彼は開店の準備をしながらお酒の味やクセ、カクテルを作るときの秘訣とか、いろいろ教えてくれたのです。
 
そんなある日、私は彼にこう聞きました。
「水商売の商品とは、何なのでしょうか?」
彼は、ちょっと困った顔をしましたが、こう話してくれました。
「そうだな・・、第一は酒、それも酒に付加価値を付けるバーテンの技術が加わった酒、それと客を気持ちよくさせるコツを心得たホステス、そして、客が感じる別世界が商品かな」
最後の「客が感じる別世界」が私の記憶に強く残り、考え続けたのです。
 
話を戻します。
最初の1ヶ月が終わって、給料を支払い、家賃や買掛金を支払い、お酒の残量確認(つまり棚卸し)、伝票の整理、残金の確認、収益計算をしたところ、若干の黒字になりました。
ようやく赤字体質から脱したと、母と喜び合いました。
あの日のことは、今でも忘れられません。
水商売は典型的な日銭商売ゆえ、結果はストレートです。
この経験が、その後のビジネス人生に生きたといえます。
 
ただし、私の給料は大学の学費と引き換えでゼロ、母は無給でしたから、まだまだ利益は不足していました。
でも、収益を上げる基礎が出来た意味は大きく、「このやり方で頑張ろう」という気持ちが生じました。
 
それから半年で金銭的余裕も出来、店の経営も軌道に乗ってきました。
私は、改めて、例のバーテンに「客が感じる別世界が商品」のことを聞きに行きました。
彼は「そんなこと言ったか?」と言いながら、話してくれました。
 
「水商売の客は、日常と切り離された別世界を味わいたくて来るんだよ」
「例えば、女性にモテっこない“冴えない”ヤツでも、カネさえ払えば若い女の子が相手をしてくれる。
もちろん、店の中だけの話で、カネと引き換えだってことくらい、みな分かっているさ」
「でも、もしかしたら・・という淡い期待もあるし、実際、すぐ側で感じる若い女の子の濃厚な気配に理性は吹っ飛び、背伸びしてカネを使うんだよ」
「しかし、大事なことはここからだ。その客が、後で空になった財布を見て、『こんなこと、もう止めよう』となって店に来なくなったのでは、商売が続かない。『また行こう』と思わせることが大事だ。
こんな“いい余韻を残せる”店の雰囲気が商品と言えるかな」
 
私が「なんか危ない“別世界”のようですが」と言うと、彼は大笑いして「そうだな」と言い、話を続けました。
「水商売の接客とは『疑似恋愛』だな。その時間限りのお芝居恋愛だよ」
「いいかい、女の子がこの商品の真の中身じゃない。あくまでも“まんじゅうの皮”だ。皮も美味いにこしたことはないが、“あんこ”じゃない」
 
私が「じゃあ、“あんこ”は何ですか?」と聞くと、彼は、こう答えました。
「この店で過ごす時間の『別世界感』だよ。女の子との会話もいいけど、純粋に酒が好きな客もいる。バーテンと話したい客もいる。ママさんの話を聞きたい客もいる。そうしたすべての嗜好を満たす店の空気だよ」
 
まるで禅問答でしたが、最後に彼が言った次のことが引っかかりました。
「まだ、この店に“あいつら”は来てないみたいだけど、本番はこれからだよ。そんとき、オレは助けられないから、あんたの力で切り抜けるんだぜ」
 
それが何のことか分かりませんでしたが、まもなく、そのことが分かる日が来ました。
その話は次号で。