自由経済と過剰品質(3)

2017.04.17


五輪招致の時に話題になった「おもてなし」は、日本の美徳として伝えられ、日本人の自尊心をくすぐりました。
しかし、そこに「ブラック客」を生む素地があることまで考えた人は少なかったと思います。
「おもてなし」の言葉には「心を込めた無償の奉仕」という意味が込められています。
利害を伴わない場面においては、人と人との潤滑油として最適な効果をもたらします。
しかし、商売という利害行為にこの精神を持ち込むと少々ねじ曲がっていきます。
過剰な「おもてなし」精神が、「過剰品質」の要求を当然と考える「ブラック客」を生むことに繋がるのです。
もちろん、自由経済下における“仁義なき”価格競争がダンピング合戦を生むことを、私たちは嫌になるほど経験しています。
商売における「おもてなし」は、そうしたダンピング合戦を回避する手段とも言えます。
しかし、そのことが今度は「ブラック客」を生むとしたら、どこまでいっても解けない「メビウスの輪」となってしまいます。
では、国交省が3月16日付けで不動産協会等の民間発注者団体に要請した「適正価格での発注」は、その輪を解消するカギとなるのでしょうか。
日本が自由主義の自由経済の国だとすれば、この国交省の要請は行き過ぎといえます。
末端の労働者の生活を守り、若者に魅力的な産業だと思わせ、建設産業を守りたいとする考えに間違いはありません。
しかし、そのために自由経済の原則を崩し、民間取引に国が介入することは本末転倒といえます。
税金で維持される国や地方公共団体と違い、民間発注者は、自らの商売の利益で生きていかなければなりません。
原価を下げられるだけ下げたいのは当然です。
建設会社の見積りに「法定福利費を入れよ」といったところで、他で値引きすれば何の効果もありません。
元請け、下請け、孫請け、ひ孫請け・・と続く商売の階層構造が、その連鎖をより複雑に、より深刻にしていきます。
そうした階層の頂点に位置しているのが発注者(民間も含めて)ですので、今回のように国交省が介入したくなる気持ちはわかります。
しかし、この介入には大きな不備があります。
階層の頂点に立っている本当の発注者は、最終消費者(つまり、一人ひとりの国民)です。
国交省は、そこまで立ち入って「値引きを強要しないように」とでも言うつもりなのでしょうか。
そうなると、全てを国が仕切る「共産主義が良い」というジレンマに陥ってしまいます。
「ブラック客」はそうしたジレンマの上に咲いた“あだ花”なのでしょうか。