新車陸送の世界(11)
2026.04.01
今回は、ちょっと美味しかった話ですが、危ない話でもあります
このバイトも3年目に入ったある日、社長に呼ばれました。
「福岡まで車を運んでくれないかな」
運ぶ車は特殊な改造を施した車だということでした。
社長は「君は学生だし、今は夏休みだろう。1泊2日で運んでくれないかな」
私は2つ返事で引き受けました。
2日分の日当の他に宿泊代や帰りの新幹線代、さらにその間の食事代まで支給されるという条件に惹かれたのです。
当時の私は、このバイトで学費などを賄っていた貧乏学生です。
おカネは喉から手が出そうなくらい欲しかったのです。
翌日、神奈川の藤沢工場に出向いた私は、興味津々で工場奥の一角に置いてあったその改造車に案内されました。
ピカピカに磨き上げられたその車は、外観はベースにした高級車と変わりないように見えましたが、内装はすっかり違っていました。
案内した技術主任の方は、少し誇らしげに改造内容を説明してくれました。
そして「御社から、あなたはレース経験もある優秀なドライバーだと聞いています。よろしくお願いします」と言いました。
私は『社長は、オレのこと、相当誇張して言ったんだろうな』と思いましたが、何も言わずに書類に記入しキーを受け取り、エンジンを掛けました。
瞬間、特徴的なエンジン音が工場内に響き、「相当な改造費が掛かっている」ことを実感しました。
私が「こんな高価な車、なんで輸送車を使わずに単騎(つまり単独運転)で運ばせるのですか」と聞いたところ、
主任は「大きな声では言えませんが、あなたに試運転を兼ねた輸送をお願いするのです。
途中、危険の無いところで、何度かエンジンの吹きあがりと加速をテストしてもらえますか。
後で、この報告書に状況と感想を書いてください」と言い、数枚のレポートを渡されました。
私は、なるほどと思いながら「分かりました」と返事し、工場を後にして、やがて東名高速に入りました。
そして、周りの車がいないところで、一気にアクセルを踏み込みました。
素晴らしいレスポンスでエンジンが噴きあがり、背中は座席に押し付けられ、あっという間に制限速度を超えました。
「すごい」と、思わず声が漏れました。
実際、そのまま加速したい誘惑に駆られましたが、さすがに自制して大人しく運転を続け、
時々エンジンや足回りのテスト走行を行いながら、名神を抜け、福岡に向って走りました。
結局、藤沢からの約1100kmの道のりを途中2回の給油以外はノンストップで走り切りました。
車は、実に運転しやすく快適で、注文主はどんな人だろうと想像が膨らみました。
福岡の工場で引渡し書類への書き込みや報告書の提出などが終わり、休憩室の自販機で飲み物を買っていた時でした。
背後から声を掛けられました。
振り向くと、スーツ姿の若い男が立っていました。
「東京に戻られるドライバーの方ですね」と言われて「はい」と答えると、「出来たらで良いのですが、東京へのレンタカーの回送をお願いできませんか」と言う。
疲れもあって一瞬迷いましたが、「いいですよ」と二つ返事で引き受けました。
この時、私の頭の中では、計算機が回っていました。
「この回送を引き受ければ、その日当ももらえるし、会社からもらった宿泊代や帰りの新幹線代も浮く。今月の稼ぎは結構な金額になるな」
1時間後、今度は回送するレンタカーを運転して東京へ向かいました。
なんと往復2200kmを1日で運転した計算になります。
今では考えられない無茶な行為でした。
それだけ、当時の私はおカネに飢えていたのです。
自分の学費だけでなく、弟や妹たち3人の学費も必要です。
必死に働いている父母のことを思うと、1円でもおカネが欲しいとの気持ちは切実でした。
しかし、若いとはいえ、1日で東京-福岡を往復することは無茶過ぎました。
大阪へ戻る中国道に入ったあたりから幻覚が出てきました。
真っ直ぐな道路が曲がってうねっているように見えたり、二重に見えたりしてきました。
「これは幻覚だ」と強く思い、片目をつぶったり、目をこすったりしながら必死に運転を続けました。
しかし、限界が来ました。
ついに力尽き、浜名湖サービスエリアで車を止めました。
そして、停車した瞬間、眠りに落ちました。
結果、命拾いしたのです。
思わぬおカネの代償は、自分の命だったのかもしれません。
今でも、浜名湖の付近を通ると、あの時のことが蘇ります。
次回は、なんともびっくり、そしてほろ苦さの残る話をお送りします。

