新車陸送の世界(12)
2026.04.30
このバイトは3年も経つと、立派なベテランです。
その間、一度も事故を起こしませんでしたが、安全運転の結果ではないことは、ここまで読んでくださった方にはお分かりですね。
また、運転が格別上手かったわけでもなく、ただただ幸運に恵まれただけの結果に過ぎません。
雨の夜の派手なスピンで「一巻の終わり!」と思ったこともありますが、奇跡的に潜り抜けました。
バイト先の運搬会社は最末端の下請け会社でしたが、一つ上位の会社全体では、毎月30~40件の事故が起きていました。
夏場のピーク時に事故が80件を超えたということで、傘下の下請け各社に厳しい通達が出されたこともあります。
そうした通達が出た月は、会社から「運ぶ台数を落としてもスピードを落とし、信号無視はするな」という注意が我々に課されました。
しかし、確実に稼ぎが落ちますから、1週間も持たずに、いつものような走りに戻っていました。
弟から「そのバイト、僕にも紹介して」と言われたとき、私は「ダメだ」と強く拒絶しました。
自分は幸運に恵まれたが、その災禍は弟に降りかかると本気で思ったからです。
そんなある日、また社長から特別な仕事を依頼されました。
ある大手会社の会長の自家用車を軽井沢の別荘まで運ぶという仕事です。
私は「楽な仕事、ラッキー!」と思いましたが、表情には出さず「はい」とだけ答えました。
社長は「帰りの旅費だ」と、財布から数万円のおカネを出し無造作に机に置きました。
ずいぶん乱暴な話と思われましたか。
でも、当時は、そんな時代でしたね。
指定された住所には、300坪はあろうかと思う、まさに豪邸が建っていました。
インターホンを押して、会社名と運搬人であることを名乗ると、玄関に会長自らが現れました。
初老の気さくな印象の方で、裏にあるガレージに案内してくれました。
そこは、楽に3台は納められるような大きな屋内ガレージでした。
会長がボタンを押すと、自動で大きな扉が上に上がり、中の車が姿を現しました。
そこには2台の大型のベンツと1台のポルシェ・カレラが並んでいました。
会長は、私に1本のキーを渡しながら「あれが運んでもらいたい車です」と、銀色のベンツを指指しました。
それは当時の最高グレードのタイプ600Sでした。
心の中で『カネをもらって、こんな車を運転できるなんてラッキー」と思いましたが、顔には出さず、「別荘地の敷地図はもらっていますので、本日中に運んでおきます」と言いました。
すると、会長はもう1枚の紙を取り出し、こう言いました。
「ここに寄って、荷物をひとつ、別荘に運んでもらいたいんだけど」
その紙に書かれていた住所は、杉並区のマンションの1室でした。
私は、二つ返事で引き受け、まずはそのマンションに向かいました。
そこは、かなりの高級マンションでした。
広いエントランスの壁のインターホンで部屋番号を押すと、すぐに女性の声で応答がありました。
私は、名乗った後に会長の名前と「別荘に運ぶ荷物の受取りにきました」と告げました。
すると、インターホンから笑い声が聞こえ、エントランスのゲートが開きました
私は「はて?」と思いながらも、エレベータで上階に上がり、目的の部屋の前でインターホンを押しました。
ほどなくしてドアが開き、姿を見せたのは、私より年上と思われたが、若い女性でした。
私が「会長から荷物を軽井沢まで運ぶように言われたのですが、どの荷物でしょうか」と言うと、その女性は、ケラケラと声を出して笑い出しました。
私は何も言えず、唖然とするだけでした。
すると、笑いが収まった女性は「パパが荷物って言ったの? ひどい」と、笑い顔のまま、怒ったように言いました。
そして、私に向かって「荷物は、わ・た・し」と言うのです。
茫然とした私をのぞき込むように下から見上げた彼女は、さらに「意味分かるでしょう」と畳みかけてきました。
思いがけない事態に唖然とした私でしたが、さすがに意味を理解しました。
正直、くるりと引き返したいと思いましたが、そんなことしたら「クビになる」と思い、「分かりました」とだけ答えました。
彼女は「ちょっと待ってて」と奥からスーツケースを引きずってきました。
私は慌てて、「失礼します」と部屋に上がり、そのスーツケースを運び出しました。
彼女は「ありがとう。優しいのね」と、相変わらず、からかうような口調で言いました。
こうして、私は、“とんでもない”頼まれ荷物を積んだベンツを軽井沢の別荘地へと走らせたのでした。
この顛末は1か月後の次号で・・
妙な期待はしないで、お待ちください。

