新車陸送の世界(17)

2026.09.30


ある日の夕方、出勤すると同時に社長に呼ばれた。
そして、先に出勤していた同僚と二人で説明を受けた。
それは、新発売前の「覆面カー」を運ぶ仕事であった。
読者の皆様は、雑誌やニュースで見かけたことがあると思いますが、上からすっぽりと黒い布で覆われて走っているあの車である。
 
社長から説明を受けたのは、当時の車雑誌にスクープされた未発表の新車、それを運ぶ仕事だった。
雑誌の記事には写真はなく、予想イラストの絵が載っているだけだった。
社長からは、
「工場でメーカーの担当者から詳しい説明があるだろう。その指示に従ってくれ。事故はもちろん、マスコミとの厄介事もご法度だ。法定速度を遵守しろとは言わんが、慎重のうえにも慎重を期して走れ」
と言われた。
 
同僚が社長に質問した。
「分かりましたが、運ぶ単価はアップとなりますか?」
同僚の直球質問に、私は少しびっくりしたが、思いは同じで、同調の頷きをした。
社長は「もちろんだ、いつもと同じとはいかんよな」と言い、通常の3倍の単価を提示した。
「そのかわり、万が一にも事故るなよ」と念押しのように言った後、「それから、スクープを狙うやつらに注意しろ。自動車マスコミだけでなく、素人にもだ。絶対に覆面の下を見せるな。出発前の点検も念入りにしろ。途中で車を離れることも厳禁だ。出発前に必ずトイレに行っとけ」と、厳重な注意を受けた。
我々二人は、この日はチームから離れ、課長の車で藤沢工場に行き、そこでメーカーの担当者から細かな指示を受けた。
「車に被せる黒いカバーが走行中に緩まないよう、出庫の担当者と一緒にしっかりと緊縛するように。走行中、どちらかの車のカバーが緩んだら、二台とも直ちに停車して協力して締め直すように」というように細かな注意を受けた。
さらに「スクープを狙う車が寄ってくるでしょうから、徹底して無視してください。中には危険なほど寄ってくる車があるかもしれませんが、あなた方の技量があれば事故を起こすことなくやり過ごせるでしょう」と、なぜ二人が担当することになったかをそれとなく含ませる。
 
同僚は「3倍の単価だ。しかも、通常の速度で藤沢からだと2回で終わりだな。いつもより早く終われるし、楽勝だな」と言ったが、私は「一瞬の油断もできないので、2回が限界だよ」と思った。
 
こうして二台は工場を出たが、黒カバーを掛けた車からの視界は想像以上に悪く、運転には相当の緊張を強いられた。
しかも、すぐに沿道から注目を浴び、車道に飛び出しカメラで撮影する者も現れ、先が思いやられた。
そして、案の定、スクープを狙って待ち伏せしていた自動車マスコミの車が追いかけてきた。
『ご苦労なこった』と思ったが、向こうも必死なのであろう。
前に行ったり後ろに下がったりと、コバエのようにうるさく付きまとう。
接触するほどに近づいた車には、クラクションを鳴らし、手で「離れろ!」と合図したりもした。
ようやく目的地に着いたときには、ぐったりだったが、二人で「もう1回だ、気持ちを切らさないで頑張ろう」と励まし合った。
 
課長の車で工場に戻るとき、同僚が課長に尋ねた。
「なんでトレーラーで運ばず、こうして単騎で運ぶのですか? もしかして車雑誌に、走っている写真を撮らせるという意図もあるのですか?」と直球質問。
私は『それもあるだろうな。だが、この輸送で万が一事故ったら、逆の大スクープになってしまうではないか』と思ったが黙っていた。
課長は、苦笑しながら「オレからは何も言えんよ。会社がこの輸送を引き受けた理由もな。ただ、社長が君たちを選んだのは、事故歴が無いからだ」と言った。
しかし、二人が無事故だったのは単に運が良かっただけだったということは読者の皆様にはもうお分かりであろう。
二人とも黙るしかなかった。
 
2回目の輸送先は1回目と違っていて、今度は高速道を使った。
メーターパネルにも黒いカバーが掛かっていたが、速度メータではなく、タコメータ(エンジンの回転数を表示するメータ)だけが見えるようになっていた。
工場を出るとき、メーカーの担当者から「3000回転以上には上げないように」と言われていた。
エンジンの回転数で速度は分かるし、ハンドリング操作などで、車の性能はだいたい想定できた。
到着した先で、いろいろ質問されたが、そのやり取りで、なぜ我々二人が選ばれたかが分かった。
二人ともレーシングライセンスを持っていたからである。
つまり、この輸送は「公道テスト」の一環だったのである。
同僚もそれが分かって、二人で「もっと、高い割り増しを要求すべきだったな」と笑い合った。
高度成長期という時代は、こうした時代だったのである。