新車陸送の世界(16)

2026.09.01


前回は、不快な話を申し訳ありませんでした。
でも、あの出来事は、長い時間を経た今でも頭の片隅から消えずに私の深層心理を圧迫し続けています。
前回の話に限らず、この新車陸送の記憶自体が一種のトラウマとなっているのです。
新車陸送の話、もう少し続けます。
 
高度成長期の時代、文字通り“洪水のごとく”日本から世界中に車が輸出されていた。
頂点に君臨するメーカーの傘下につながっていた陸送会社の階層がどのくらいあったかは今でも分からないが、自分たちが最底辺にいることだけは分かっていた。
事故の話は毎日のように耳にしていたし、悲惨な事故車も日常的に目にしていた。
先輩たちの「今月は2人で済んだか・・」の話が死者の数であるかを聞くことも出来なかった。
怖かったのである。
我々が、日夜走っていた“あの”速度で事故になれば、死んでも不思議はない。
当時はシートベルトさえ付いていなかったのだから。
いつしか来なくなった仲間がいても、誰も何も言わない。
私がいた世界は、「板子一枚下は地獄」という最底辺の世界だったのである。
 
ある日の明け方近く、まだ暗闇が残る国道で、先行していた仲間の車が急停止した。
そこには、中央分離帯に乗り上げ白煙を上げている一般車があった。
私を含めた数台の陸送車が止まり、現場に駆け寄った。
運転者と思われる若者が中央分離帯に投げ出されていたが、彼の体は奇妙に折れ曲がり、顔は土気色に変色していた。
顔を近づけて確かめたが、息をしていない。
大声を掛けてみたが、もちろん反応は無い。
少し離れたところに、ぺたんと放心状態で座り込んでいる同乗者らしき女性を発見した。
彼女は無事なようだったが、なにを聞いても反応ゼロ。
視線は虚空を見つめたままで、何も見ていないような状態。
 
我々は、すぐに発煙筒を焚いて後続の車に異変を知らせ、1台が交番に向かって走った。
(携帯電話など無い時代ですから)
最後尾から追いついたリーダーが人工呼吸を試みるが、若者の呼吸は戻らない。
若者の顔は土気色から徐々に色を失い、白色化していく。
事故で今まさに死にゆく人間の顔を初めて見た私は、ただ立ち尽くすだけであった。
 
やがて救急車が来たが、座り込んだまま放心状態の女性を乗せただけで、走り去った。
その後に、灰色のワゴン車が来て、動かない若者を運んでいった。
先輩の一人が「死体運搬車だな」と呟いた。
私は、その車の運転者の顔が死神に見えたが、もちろん何も言わなかった。
 
我々はパトカーで来た警察官にいろいろ質問された後で解放されたが、リーダーは、我々若手に「お前ら、今日はもう上がれ。ショックが残るようなら明日は休め」と言った。
私は「さすがにリーダーだな。どんな場合でも冷静にチームメンバーのことを見てるんだ」と感心した。
 
このリーダー、自分の彼女に売春までさせるという道徳心の欠片もないような人だったが、チームリーダーとしての言動は常に冷静で的確であった。
私はチームに対する彼の言動から“ある種”のリーダーシップを学んだと、今でも思っている。
そして、言いたい。
1960年代から1970年代にかけての高度成長期の日本を最底辺で支えていたのは、あの陸送チームのメンバーのような人たちだったのだと。
こうした底辺の“とんでもない”世界を実体験した私の精神は、間違いなく大きな影響を受けていた。
それが20代後半の私の言動に色濃く現れたと、今では思う。
 
二回続けてショッキングな話でしたが、次回以降、もう少し新車陸送の話を続けさせてください。